ウランバートル日本人捕虜の足跡(ノモンハン研修の旅)
このオペラハウスが日本人捕虜により建てられた(大使館で確認済)
スフバートル広場の東側には国立オペラ劇場があります。実は、この建物は日本人によって建てられました。日本人と言っても、アジア太平洋戦争(1941〜1945)の末期に、ソ連によって旧満州で捕虜にされた日本人です。この点に関して、司馬遼太郎さんの言葉を拝聴しましょう。 (参考文献)『モンゴル紀行 街道をゆく5』 朝日文庫 2005年2月25日刊 第30刷 「当時のソ連は、旧満州でひっからげた日本人捕虜をモンゴルにも配給した。モンゴルだけでその数は一万三千八百四十七人だったという。二カ年の抑留中、そのうちの一割強(千六百八十四人)が死んだ。かれらはあらゆる種類の労役に従事させられたが、この国立中央オペラ劇場の建設もそうだった。そういう知識さえなければ、どれほど愉快に、この一見石造ふうの重厚な、しかし近づいてみればセメント製(といってもソ連の国内でも戦後建築の多くがセメント製)の建物を眺めることができたであろう。」(参考文献)p.128 「娯楽機関として優雅なオペラ劇場まで持てる水準にまで達せしめたのは、モンゴル人の努力と近代化のためのすぐれた才能によるとはいえ、ソ連の援助がなければ不可能であったにちがいない。その点、モンゴル好きの私の謝意はソ連にむかって大きく傾斜する。しかしオペラ劇場の建物だけは、どうもまともに見る気になれないのである。」(参考文献)p.129 現在のモンゴルの人々はそんなことを覚えているのでしょうかね? それにしても真新しい建物のように見えます。最近、上塗り、改築されたのでしょうかね?。 日本人捕虜によるオペラ劇場の建設は、モンゴルだけではありません。ウズベキスタンの首都タシケントにあるオペラ劇場も日本人捕虜によって建設されたのでした。 |