自炊庵
(松永が、伊豆海岸、それこそ、そのころは日本のチベットといわれた、民家まで十キロと人っ子の影の全くない壁遠の地に、日本で一番小さい草葺や屋根の家を買って移し、別荘とし、“自炊庵”と名づけ折々滞在していた)

自炊庵には、小林一三はもちろん、船舶王といわれた山下亀三郎もきたし、富士電気を起こして社長になったり、三越の社長をつとめた名取和作もやってきた。

 そればかりか、総理大臣の椅子を投げ出して失意の底にあった近衛文麿も、愚痴をこぼしにやってきた。もう手遅れだったが、松岡洋右の外務大臣を切ったのは大できだった、と慰めたりした。

 そればかりか、のちには皇太后さまもお出でになり、そのすすめで天皇もお出でになられた。そして歌碑さえ建った。



"老欅荘 その二

『電力王』の旧邸一転保存(故松永安左絵エ門氏の晩年居住
解体されることになっていた「電力王」故松永安左エ門氏の神奈川県小田原氏の居宅が、市民団体等の要望で一転、保存される見通しとなった。
保存を求めて四千人を超える署名が集まったことから、居宅を購入した市側が修復保存の方向で計画の見直しを進めることを表明。
来年度から修復保存事業に乗り出す。将来は茶室などを市民が利用できるよう開放することも検討している。吉田茂、池田勇人といった歴代首相も訪れた名邸が生き残ることにになりそうだ。
 
この居宅は松永氏が晩年を過ごした「老欅荘(ろうきょそう)」。戦後まもなく建築された木造一部二階建ての数奇屋造りで、建物の面積は約182平方メートル。待合室にあたる寄り付きや床の間付の大広間、茶室や水屋などがあり、「二十世紀の日本人の精神を後世に伝える貴重な文化遺産」(中村昌生・京都工芸繊維大名誉教授)といわれる。
 1994年、小田原市土地開発公社が遺族から買い取ったが、老巧化が激しいため、97年度に市が建築業者による調査を実施。全体を保存すると修復後の維持管理費がかさむことから、解体し、茶室である松下亭だけを再建する方針が固まった。

 こうした動きを受けて神奈川県在住の茶道・華道愛好家でつくる「日本の伝統と文化を学ぶ会」(高橋静枝代表)は昨年12月、同邸の見学会を開催。「是非保存してほしい」との声が上がったため、署名活動を実施して約4,000人の署名を集めた。
 同会は1月31日、署名に「雨漏りによる壁の汚損や、虫害や腐れによる木部の老巧化はあるものの、修復保存することは可能」との専門家の所見を添えた陳情書を市議会議長に提出した。同邸については、このはか、「小田原城郭研究会」や「小田原ペンクラブ」などからも保存の要望や陳情があったことから、2月4日に小沢良明市長が議会側と協議し、これまでの計画を白紙に戻すと表明。

 維持管理費など財政面での課題は残るものの、「保存のための環境は整った」(同市長)として、3月市議会で全体保存に向けて新たに予算を計上する方針に転換した。同市は「政財界人が多く住み、茶の湯文化の根付いた小田原の象徴として、補修後の同邸を市民に開放していきたい」としている。一方学ぶ会の高橋代表は「保存表明はうれしいが、土塀やケヤキなど周囲の環境を含め、国の登録文化財として申請してほしい」と、今後も保存の在り方を見守る構えだ。
「日経新聞・2000年(平12年)2月18日(金曜日)」

老欅荘の今日(松永記念館

近代小田原三茶人
 

近代小田原三茶人の足跡

『拾華春秋』―松永記念館はなごよみ

小田原市長の挨拶