東京雪州会の皆様におかれましては、日頃より故郷壱岐へ思いを寄せながらご活躍のことと拝察致しますとともに壱岐に対して、様々なご支援を賜っておりますことに衷心より厚くお礼申し上げます。
私も東京に八年、千葉市に八年、合計十六年間、首都圏で生活しておりましたので、皆様とはより身近に感じます。初山小学校PTA会長の時に、全国交通安全子ども自転車競技大会に子どもたちが出場の折、そして又壱岐高等学校PTA会長の時の創立九十周年事業と皆様方に大変お世話になりましたことは、一生忘れることなく感謝の念を抱いております。
さて、皆様ご存じのとおり壱岐四町は、平成十六年三月一日に「壱岐市」となることが、去る八月一日の総務大臣告示で最終決定を致しました。島民の方々は、壱岐市となる夢の如き現実と行政組織の拡大による行政サービスの低下への不安とが交差しているかと思いますが、行政サービスの低下を招かないよう努力していかなければならない重責を感じております。青い海、緑豊かな山、肥沃な耕地の壱岐の島で、島民にとって生活がしやすい便利な島であることは大切であります。
しかしながら構造改革の波が押し寄せ、規制緩和、自由競争の中でいくら地方の時代と言われても、過疎、高齢化のこの島が、本当に生き残り、発展をして行くには我々が自立をするしかないと思っています。そのためには壱岐の特性を活かすこと、足元を良く見つめることが原点と思っております。
日本で有数の自給自足ができる島であり、県内第二の平野を有しております。社会はファーストフードからスローフードヘ、安全安心の食品の提供が大切であり、我が国の食糧の自給率が低下している今、農漁業の振興を図ることは併せて商工振興にもつながると思います。大都市の近くに位置しており、災害等により大都市への陸路が閉ざされた場合に、海路がある壱岐に食糧の備蓄基地を建設することがあっても良いと思います。
全国最大級の原の辻遺跡を有し、安全安心の美味の食糧提供は観光浮揚となります。また離島には珍しいほど医療施設が充実しており、福祉制度、福祉施設の更なる充実を図ることによる雇用の拡大を図れば、安心して生活ができる島として、定年退職者の移住を望めます。
夢のある壱岐へ、今こそ英知を結集する時であります。
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