壱岐に広がる「東日本大震災義援金」

 
ひとしずく(壱岐日報h23.4.15)
東日本大震災の被災者支援の輪が、本市でも様々な形で広がっている。「とにかく自分たちのできることをしよう」と、皆一生懸命である▼先日、評論家が「目に見えるものを頼りに利便性の追求に明け暮れ、その粋を集めた最先端の施設、人口の物は、大震災という自然の力に打ち砕かれ、草1本すら生み出すことができない人間は今、目に見えないものに怯え、目に見えないものの重要さに気づき始めている」などと話していたが、まったく同感である▼それは別にしても、この大震災では、手を取り合おうとする心のつながりや絆、添うことの温もり、皆で支え合おうとする思いなどに対し、がれきの山と化した人工物と、人という存在の両極が目の前に展開しているように見える。必ずや新たな社会のシステムというかスタイルのようなものが生まれるものと思うし、そうあってほしい▼例えば廃棄しなくてはならない程ではなく、必要なものを必要なだけ、極端ではなくちょうどよいーなどといった、過不足なく偏りのない「中庸」の精神というような大きな方向性が、様々な局面で必要とされてくるのではないかとも思う▼まだ大きな余震が続いている。壱岐をはじめ、国内はもとより海外からも、多くの真心が届けられている。1日でも早く安心できる生活をと、祈らずにはいられない。



を市を通して東日本大震災の義捐金として被災地へ送る。




東日本大震災を悼む 東京雪州会顧問 坂江博見(横浜市在住)
去る三月十一日午後二時四十六分、ここ横浜のわが家のテレビから俄に、国会中継の画面が縦横に揺れるいとまもなく、地震緊急避難警報と、同時に、グラッと三〜四分間(長く長く、数十分間にも感じられた)揺れに揺れ、棚上の数々の物が落下してきた。ストーブの火、玄関のドアーを、消したり、開けに行く道程、なんど、遠く足が運べない揺れの激しかったことか………生まれて初めて経験した恐怖の一瞬であった。

妻共々怪我一つなく幸いと言うほかなかった。誘導地震というのであろうか? 日に2〜3回位平均で余震が襲うせいか、何時も体自身動揺感を抱かされている。今なお、不安の日を過ごしている。

さて、当日のテレビの放映は、岩手、宮城、福島等の主要都市塩釜・気仙沼・釜石・陸前高田・多賀城・仙台空港等の惨状、津波の寄せ波・引き波の恐ろしさ、凄惨さ、アッと、言う間に、諸生産工場、魚市場、民家等をさらって行く天災、と言う名に、人智の無力さ、何万人が生き地獄の神仏と化すとは、痛ましく悲しい限りである。

我が高校の同期箱崎出身の友Hが、仙台の泉区に居住し被災した。長く電話等不通で連絡が取れず案じていたが最近、やっと健全であることが判明し故郷の関係者も胸なでおろし、一安心と、言ったところである。

追い打ちの原発事故による人命への影響、文明社会を揺るがす電力不足、一日も早い復旧・復興を元しがない行政官の一人として、願わずにはいられない。安全・安心をモットーとして、短期、中期、長期の三本建てで、行政・政治・民間が一体となって、政治主導で実行行為に取り組まれんことを………。

諸外国の支援に感謝しつつ、東日本大震災で津波に呑み込まれ逝かれた御霊に対し、哀悼の誠を捧げ、お悔やみ申し上げ、併せて被災された多くの関係者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。

  【東日本大震災の惨禍に涙しつつ一句】
    
「桜花泣く 陸奥哀れ 呑まれ逝く」

地震・雷・火事・親父(今では、おまけ=ユーモア?)の恐ろしさは・・・・日本人は古くから人間の叡智ではどうすることもできない事を。・・・そして大自然を畏敬し、恐れ神の存在をも知っていたのです・・・と。