1面から続く    
そして、自然を支配して、よりいっそうの物的幸福を手に入れるという近代文明の無限の歩みにはもはや歯止めはかからなくなっていた。

今回の大地震では地震と津波という自然現象とともに、福島の原発がきわめて重要な意味をもっている。被災地だけではなく福島に世界中の関心が向いている。放射線値やその拡散に関心が集まっている。特にアメリカは早い段階から原発事故の管理には関心を示していた。

だが、まさにその近代的科学・技術主義を極限まで推し進め、核技術を開発して、2度までも日本に原子爆弾を投下して放射線をまき散らかしたアメリカが、福島原発での日本政府の対応や情報提供に注文をつけたり、放射線拡散に神経質になっている。また日本もアメリカの助力を必要としているのである。考えてみればなんとも皮肉というか苦い構図というほかない。

被災地支援を「トモダチ作戦」などといっているが、こうなると、アメリカが開発した軽水炉タイプの原発によってエネネルギーを管理し、経済成長によって人間の幸福を増進するというアメリカ的な価値をすっかり取り入れていた日本は、確かにアメリカの「トモダチ」ということになるのかもしれない。

東日本震災がかつてのリスボンのように世界観の転機になるのか否か、それは不明である。しかしそうなるべきであろう。ただこの転換は、当時出現した啓蒙思想や科学主義とは逆で、人間中心的な理性や科学の限界を如実に示すものであった。

自然の脅威は、それを支配できるとした人間の驕りを打ち砕いた。カントは「崇高」という言葉で人間の理性能力や自然に立ちむかう雄々しさに訴えた。しかし、それはいつのまには驕りに変わる。今度の災害が示したことは、「騎り」ではなく、また「恐れ」でもなく、自然への「畏れ」をもつことである。自然への「畏れ」と「おののき」をもつという賢明さをわれわれはすっかり忘れていたように思う。(さえきけいし)