日本人にとって、神様とは何か

 


 本当に世界中の人々が驚いたんですね。普通はどこでも大災害時にはパニックに陥り、略奪など起きるのが当たり前なのですが、今回の震災では、そんなことはほとんどありませんでしたし、おむすびをもらおうと我先に殺到する光景などもどこにも見られませんでした。それどころか、乏しい食料を分かち合い、互いに譲り合っているのですから世界の人々の驚きは尋常ではなかったのです。
(12頁に海外の声の例)

どうして日本人にはそんなことができるのか、これは本格的な研究の対象になると西洋の学者がテレビで言っていたほどです。私もあらためて日本人気質を見たと思いました。いざというときに、人や民族の本性が現れるとすれば、被災地の方々の姿にこそ、日本人の本質が現れているのだと思います。

自国をことさらに財める戦後の思潮のなかで日本人らしさを自覚することの少なかった現代の日本人が、日本人としての自己に目覚めるきっかけになりましたね。

 日本に長年住んで日本国籍を取得し、日本のことについてしきりに語ってきた私でしたが、これほど大きな衝撃と感動を受けるとは思ってもみませんでした。しかもさらに驚いたことは、日本人の多くは被災地の方々の秩序正しさ、優しさ、辛抱強さなどにハッとさせられながらも、ことさらのことではなくならそうだろうな」と当然のことのように受け止めていたことでした。

そういわれればそうかもしれませんね。

 私が、他人を思いやる優しさや共生の感情など、日本人の美点を指摘すると、「今の日本人には失われていますよ」とよくいわれてきたのですが、どうして、どうして、やっぱり失ってはいなかったのです。

東北という日本の古きよき伝統が色濃く残っていたところだからという指摘もありますが、帰宅難民が大発生した東京でも秩序正しさや思いやりなどに感動したとの声はツイッターでも多かったですね。平素は意識することのなかった日本人としての自分をはっきりと意識した大きな民族的体験でした。

★学生たちの感動

 私の勤務する大学の学生たちも価値観が変わったといっていました。好むと好まざるとに拘らず、現代は物質万能で、若者たちも無意識のうちに「物」を拠り所に生きてきた。ところが今回の震災で、先祖伝来の物も含め、積み上げてきた物すべてが津波に流され、雲散霧消してしまった。白分たちの拠り所が一瞬のうちに消え失せるという恐怖感にとらわれたのです。

「物やお金よりも大事なのは人の絆です」と学生たちはいいました。「物が消え失せても家族や友人との絆は残る」と。被災地救援のボランティアに参加したある学生は、これから大学でどう学ぶかをはっきり見つけた、といっていましたが、人や社会のために役に立つことをしたいと思うようになったとか、日本人であることを誇れるようになったなどという声が多かったですね。実際に大学の学部でボランティアを募集したところ、20名の枠に対して応募者は100名をすぐに超えました。


個人的な物質充足欲望よりも、日本人としての誇りや公けに尽くす生き方に、より価値を見出したわけですね。

仙台に友人がいるという私のゼミのある学生は、トラックに救援物資を積んで駆けつけたところ、現地は物資が不足して本当に悲惨な状況にあったそうですが、救援を涙ながらに喜んで感謝してくれて、救援物資を秩序正しく皆で分け合っていた様子を見て、心を揺さぶられたといいます。

初めて日本人としての誇りをもてたと。彼は、それまで自分を含めて日本人が嫌いになっていた、現代日本人は多くがだらけていて情けないと。ところが、今回の震災で日本人を見直した、本当の日本人を見たというのです。

また別の学生は、自衛隊の決死の救援活動を見て、自然に涙が出てきて心から感動したといいます。お前は国のために何ができるかと問われている気がして、将来は自衛隊に入りたいと。

学生を含めた若者たちのなかに、精神の地殻変動が起きたという気がしますね。

それはある意昧で当たり前なんですよ。信じがたいほどの悲しみのなかで、被災地の人々が見せたしなやかな強さを見れば、誰だってそういう気持になると思います。前に本誌でも紹介しましたが(平成23年5月号「今月の言葉」)、地元新聞に次のような記事がありました。

《「僕たちも手伝いたい」。小さな手が挙がった。陸前高田市の希望ケ丘病院で幼い兄弟[小三と小二が、大人に交じって救援物資の仕分けを手伝っている。……「じっと座っているより、みんなの役に立ちたい。そうすればきっと、父ちゃんと母ちゃんも見つけやすいから」……》(仙台「河北新報」三月十九日記事の一部)私は、ここに復元へと向かう力の強さを、はっきり感じた気がしました。

★茶道と「もてなしの心」

震災から1年を迎えようとしているいま、あらためて復興の精神とは何かが問われているように思います。

 被災地の復興にどんな精神を込めたらいいか。私の主張は、それは日本の「おもてなし精神」だということです。私は、いまの時代において、日本人の覚醒というのは、ひとり日本のためだけでなく、実は世界史的意義をもつものだと考えています。そのヒントは今回の震災での被災者の行動に世界が感動したという事実にあると思います。

世界は被災地の人々の何に感動したのか。それは、被災地の人々の立ち居振る舞いでした。悲しみに耐えつつ、自分よりも他の人を思いやり、他と協調して生きていこうとする姿。さきほどの西洋の学者の疑問ではないですが、どうして日本人はかくも美しい振舞い方ができるのでしょうか。

私は、それは、「もてなしの心」だと思うのです。この「もてなしの心」こそ世界を救う鍵だというのが私の年来の考えなのですが、そのことに当の日本人自身が気付いていない。

大震災で世界が注目したいまこそ、日本人はそのことを自覚し直して、意識的に世界へ発信してほしいと願っています。

「もてなし」とは意外なキーワードですね。

呉 
ひところ、「もったいない」精神が世界で話題になりましたが、私にいわせれば、「おもてなし」という日本語こそ、いま世界の最先端を行く思想なのです。私がそのことに気付いたきっかけは、茶道なんです。

 茶道をなさっているのですか。

 いまでこそ自宅に小さいながらも茶室を作って、大学に茶道部を立ち上げたほど、茶道に嵌(はま)っている私ですが、最初はちっとも分からなかったのです。あんな狭い窮屈な部屋で足の痛い正座して苦いお茶を飲んで何が楽しいのだろうと(苦笑)。

転機となったのは、京都で神社関係の方々とご一緒したときでした。夕方6時、門から母屋まで飛び石の上を歩いて、最初に通された待合の部屋で花と掛け軸を鑑賞し合って、次に別の部屋で酒盛りです。少々酔いが回ったところで、こちらへどうぞ、と通されたのが、茶室でした。狭いひなびた家の前の蹲(つくばい)で手を洗って、にじり口から背を屈めて入っていきます。

中には、4、5人しかいません。床の間に掛け軸があって、一輪挿しの花があります。その花入れは、欠けたところが修正されていました。すると、誰かがその直したところがひとつの模様となって絵になっていると褒めるのです。

私は「えっ?」と思いました。普通、割れた物は捨てます。ところが、それを再利用するだけでなく、芸術だといってほめるなんて!そこへ入ってきたご主人が、一輪挿しを見ながら、この花は今日、山で摘んできたものですと話されました。

お茶会を終えて外に出ると、皆さん、いい茶室だ、宇宙を感じたとかいっています。えっ?宇宙?感覚がおかしいなと失礼なことを思いつつ、ふと見ると、最初に入った母屋は茶室の真向かいだったことに気付きました。すでに夕刻を過ぎて薄暗かったとはいえ、移動中は、かなり長く歩いた気がしたのに、こんなに近かったとは!これは単に酔っ払っているのとは違うぞと。それから母屋に戻っておかゆをごちそうになって時計を見るとn時。なんと5時間も経っていたのです。

そのとき私は思ったのです、5時間もの間、まったく飽きることがなかったと。そのプロセスに感動している自分がいました。そして、考えました、なぜ飽きなかったのかと。当時は、一輪挿しの美そのものを理解するにはまだ遠かった私でしたが、ハッと気付いたのは、ここではすべてが芸術なのだということでした。

掛け軸や花や花活け、お茶、お菓子、飛び石の苔、茶室などの物だけでなく、そこに参加している人間の品格、身のこなし、立ち居振る舞いも含めて一つの芸術なのだと。もてなす側の身の動き、話し振り、茶道具や調度品へのこだわりと、もてなされる側の反応力、評価する力、教養。これら演出する側とそれを観賞する側とが一体となって、物と人とのトータルで一個の芸術となっている。

ポイントは、主人側だけでなく、客側もまた芸術作品になることが要求されるということです。こんな芸術は世界のどこにもない。岡倉天心は、『茶の本』で、《日本の「もてなし」の精神は、主人と客が一つになる場で、心の癒しを生み出すことにあり、これを技芸として磨き抜き、一種の美的な宗教の域まで高めたのが茶の湯だ》と語っています。

茶道に象徴される主客一体の関係こそ、おもてなしの神髄なのです。普通は、見(観)られる物や人が問われても、見(観)る側が問われることはあまりありません。ところが、日本の芸術は見(観)る側もその芸術に参加している。

例えば、歌舞伎は、もちろん舞台や役者が芸術なのですが、観客のほうも同じ船に乗っているという考え方です。見(観)る側も力が要求されます。日本庭園もそうです。建物はL字型になっていますから縁側に立って庭を見ている私が、向こう側の主人側からも見られている。枯山水は海に入り、建物は船と見立てられている。その船に客人は乗っているのです。枯山水の表す白然と人間が一体となっています。

★茶道のすすめ

「もてなし」とは相手を察し、相手を心地よくさせるための工夫です。私は企業の講演などで「社員教育を10回やるところを1回で済ませる方法がある」という話をよくするんです。「それは会社内に茶道部をつくることです」と。

先ほど少し触れましたが、4年前、私は大学に茶道部を立ち上げました。拓殖大学の長い歴史のなかで初めてのことでした。しかも国際学部ですから外国のことを学ぶ学生たちです。なのに、たくさんの学生が茶道部で学んでいます。男子学生も多い。家元のところから先生を派遣していただいて、厳しくご指導いただいています。

面白いのは、授業をサボりながら茶道部にはきちんと参加する学生がいるということです。夢中になるんです。はじめは痛いとか苦いとか言っている学生たちが、だんだん姿勢がよくなっていきます。あるいは、隣の部屋の音楽がうるさかったりするんですが、それも途中から聞えなくなる。それだけ集中するようになります。

月に2回ですが、2年くらい経つと見違えるくらい姿勢がよくなり、相手の気持を察するようになります。茶道は、相手の気持を汲み取る訓練でもあるのです。

たとえば、お茶やお菓子を運ぶ時に、鼻より下にすると、息がかかってしまうので、鼻より高いところに掲げて持つという作法があります。まさにお客を慮るという観点に立っています。こういう作法を間違えると先生から厳しく怒られます。

歩き方もどうすれば一番美しく見えるか、ということに留意します。なんでそこまでしなければいけないのかと最初は思ったりしますが、繰り返していくうちに、それが最も自然な流れに適っているということがわかってきます。それが合理的で美しいのだと。

お菓子の盛り方も、ただ置くだけじゃないんですね。先生がほんの少し手直しされるだけで、ハッとする。例えば、季節のある田舎の風景をそこに見ることができるとか、ひとつの物語が立ち現れたりする。正におもてなしですね。

そういう御手前を覚えるうちに自ずと、お客のことを察する姿勢が身につきます。ちょっと汗をかかれたのではないかと察すれば、お茶をぬるめにしたりします。そういうことを空気で読み取るのです。茶室のなかは、狭い空間ですから、息遣いも聞える。そういう場を何度も踏むうちに感覚が研ぎ澄まされて、より相手を察することができるようになります。

そうなればどんな職場でも接客をこなすことができるはずです。

それこそ義務教育に取りいれるべきですね。

そうですよ、これは日本の財産ですよ。茶道部を立ち上げる前は、キャンパス内の茶室は、外国人留学生に日本文化を見せるためだけのものだった。私は、現代は、外国人ではなく日本人に教えなければと提案しました。

授業で数百人いる学生に「お茶できる人?」と聞いても誰も手を挙げない。それでも外国人は興味本位でただ珍しがるだけなのに対して日本人はたとえ経験していなくても遺伝子として残っていますから、一旦はじめればその良さがすぐ分かるんですね。

だから皆、夢中になります。それを見て、私は、日本人は行き過ぎた西洋化で白分の拠り所を見失っていたが、古きよき日本的なものを求めている、ということを確信するようになりました。

今の若者は外国に行きたがらないとその消極性を批判する声もありますが、私にいわせれば、外国に行って刺激を受けて意欲を掻き立てられるという時代は終わったということだと思います。学ぶところがあまり無い。いま求められているのは日本なんです。

古きよき日本なんです。ですから日本人はいま内面を見つめるべき時なんです。しかもそれは世界最先端を求める人々の求めるべきものでもあるのです。

これからは心の癒しとなるようなものが含まれた産業をつくっていくことが大事だと思います。今回の東北の復興は、単に経済を活性化していくというよりも、世界にないものを作っていくことができるんじゃないか、という発想に立つべきではないでしょうか。

それはゼロからの出発ではない、日本には古い伝統があるんです。その伝統から出てくるものを組み合わせながら生産性の高いものをつくっていく、そういう町づくりをする。私は世界のこれからのモデルを東北はつくれるんじゃないか、と期待しています。

★「もてなしの心」が世界を救う

 主客一体となった「もてなし」の心は、日本独自のものです。こういうと、西洋にもホスピタリティがあるじゃないか、といわれます。実際、ホスピタリティの訳語として「もてなし」が当てられることが多いのですが、私の考えでは、この両者はまるで違います。西洋のホスピタリティは、マニュアル化しすぎて、客は、心の癒しとは無縁の一方的なサービスに身をゆだねるしかなくなってきている。

そこで、いま世界で注目されつつあるのが、日本式「もてなし」なのです。例えば、衣料メーカーのユニクロのパリ店では、パリっ子の店員たちが「いらっしゃいませ」と客に声を掛け、清潔な店内に、美しく畳まれたシャツなど、きめ細かな日本方式を採用し、大好評といいます。

中国や韓国でも、かつてはどちらが客か分からないといわれた接客の悪さは鳴りを潜め、日本式を採用しようとする動きが始まっています。

いま、欧米は「日本風ブーム」です。カラオケやアニメだけでなく、着物や茶道、禅など日本の精神的なものが流行っているといいます。リーマンショックなど行き過ぎた資本主義に疲れ果てているのです。

 ユーロ危機も深刻化しています。

 そうして疲れ果てたところへ、心の癒しを求めているのです。それは日本でも同様の傾向があります。スピリチュアルスポットや歴女といわれる歴史好きの女性たちなど、若者も含め精神的なものを求めているのです。

ですから、例えばヨーロッパの高級ホテルでは、お客さんを、「いらっしゃい」ではなく、「お帰りなさい」と言ってお迎えします。

ここはあなたのホームですよ、お客さん、あなたを私達の家族のように暖かくお迎えしますというわけです。あるいは、ある企業に取材に行った時、驚いたのは、陳列棚に見入っているお客さんにどう声を掛けるかという訓練で、押し付けにならないようになどというのは当たり前ですが、なんと、左右どちらから声を掛けるのがお客にとって気持ちいいか、ということを、脳科学まで使ってやろうとしていたのです。

左脳と右脳の違いで、右脳がつかさどる左半身側から近づくほうがいいとのこと。左脳は論理脳、脳は音楽脳(感性脳)ですから、右脳を使わせる接客を心がけているというわけです。

これらはいずれもホスピタリティの究極とはいえますが、日本のおもてなしは、これとも違います。

えっ、それがおもてなしではないんですか。

やはり根本原理が違うのです。ホスピタリティは、恵まれた人が恵まれない人に、神様からの福を与えるというのが根本原理なのです。キリスト教を母体とした文明らしく神から人へ、愛や善行を与えるという発想です。

しかし、おもてなしは逆なんです。人が神様をお迎えするということなんです。つまり、お客様は神様なんです。民俗学で稀人(まれびと)信仰というのがあって、稀に来るお客さんは、神様の化身とされています。そして、日本のお祭りは、神様をお迎えし、喜ばせることに主眼が置かれています。神様をお迎えするには、それにふさわしい自分でなければならない。

つまり、ここでも主客一体なのです。そこで、数日前から身を慎んでお清めをし、美しいお神輿に神様をお迎します。そして、最高のものをお供えして、舞を舞って、直会(なおらい)では神様の召し上がったものを頂きます。

「もてなし」の語源は、@物をもって成し遂げる、A表(おもて)無し、つまり表裏のない心、の2つであるといわれています。神様が相手ですから、最高の物を捧げ、決してごまかしはできないわけです。そして神様に対して身のこなし方が美しくなければなりません。つまり、もてなす人の芸術性が問われます。

これが商売になると、「お客様は神様です」となる。店や旅館にお客という「人」が入ってくるのではなくて、「神様」が入ってこられるわけですから、品物にせよ、立ち居振る舞いにせよ、偽物を出したり、ごまかすわけにはいかないのです。

面白いのは、日本だけなんですね、商品として偽物を作れないのは。世界中どこだって偽物をいっばい作っていますよ。

 中国のは有名ですけど、世界中どこでもですか。

 韓国だってそうですし、世界中どこでもいかにお客さんをごまかせるか、と考えているところがある。ところが、日本人には、おもてなしの心が染み付いているから、ごまかしができないということなのです。

しかし、いよいよ、この日本の「もてなし」文化が世界に羽ばたく時代がやってきました。市場の競争は激しく、いまやホスピタリティでは競争に勝てなくなっており、日本の「もてなし」がビジネスの最前線で俄然注目を集めているのです。

これは、西洋の資本主義の限界を示しています。経済は発展しても、人の心が育たず、我利我利亡者ばかりを生み出してきた。私は、このような在り方は必ず限界にぶち当たる、といい続けてきました。リーマンショックは象徴的でした。

では、世界はどこに範を求めればいいのか。私は日本しかないと思っています。

★自然を神と見る日本人の自然観

 それが、「もてなし」文化というわけですが、さきほど、人が神様だという話をしましたが、実は物も神様なんですね。日本人にとって自然は神様であり、すべてのものに神を見るのが日本人の自然観です。ですから、道具一つとっても、道具そのものが神様ですから大切にする。

大リーグのイチロー選手がグラブを磨いているのを日本人は当たり前と思いますが、他の大リーガーたちは理解出来なかった。道具なんていくらでも交換すればいいというのが彼らの考えだった。ところが、その大リーガーたちもイチローに感化されて、いまでは道具を大切にする選手が増えているという。象徴的な話だと思います。

 震災より1年が経とうとしていますが、あのときに感じた衝撃、直感、あるいは目覚めというものをその後、活かしきっていない気がします。

 そうですね。あのとき感じたことのひとつは、自然への畏怖の念だったのではないでしょうか。日本人だなあと思ったのは、誰も自然に対して怨みつらみを言わないんですね。これが韓国だったら、自然を怨み、神を呪い、誰かのせいにしようとしますよ。

ところが日本人は、誰のせいにもしない。「自然だから仕方がないですね」と皆、受け止めてしまう。先日、茨城の日立市で講演したとき、日本人の自然に対する受容性という話をしたら、ある旅館の女将さんが講演後やってきて、「自分もそうでした」と話をしてくれました。避難した高台から、津波に浸(ひた)されていく我が旅館を驚き見つめながら、ふと「仕方がない」という気持ちになったと。

今まで美しい海を見せてくれた、いい景観のお陰で旅館業で生活させていただいた、ありがとうと。私は「えっ?誰に御礼言っているの?」と思わず聞き返しそうになりました。講演で自然を受け入れる日本人という話をしていた私でしたが、地震と津波であれだけ酷い目に遭った人の口からそう聞かされて、いまさらながら驚いたのです。

近代文明は人間と自然とを分離させる方向で発展してきました。ところが、日本だけは、自然との強い絆をもったまま、近代化を成し遂げました。日本人には、植物と会話できるという人が今でもいますし、樹木のお医者(樹医)という特異な職業もあります。焼き物を焼く陶工は土が生き物だと言いますし、鍛冶屋は鉄が生きているといいます。

つまり木や土や鉄は神なんです。ですから決して粗末には出来ない、精魂込めて最高の物を作ろうとします。決してごまかさない、なぜなら相手は神だからです。

★天皇は日本の心

 今日のお話では、自然を神とみる日本人の自然観が、もてなしの心を生んだ。それが被災地の方々の謙譲と思いやりに満ちた振る舞いの根幹にあり、同時にそれは世界の行き詰まりを救うものであるということでした。話は少し飛びますが、天皇陛下が被災地をご訪問になった折の被災地の人々の感想がいくつか出版されています。

例えば、小学館が出した『東日本大震災185日希望の記録天皇皇后両陛下被災地の人々との心の対話』という本から少し拾いますと、「完全に無気力になっていたときに心やさしい天皇皇后両陛下にお会い出来、心に明るさが点りました」(66歳、北茨城市、男性)「生き残った者も地獄の中にいるような気持ちで過ごす日々でしたが、陛下からあたたかいおことばをいただき、少しずつ前へ進もうという気持ちになることができました」(35歳、南三陸町、女性)

「明日への希望が見つからず、つらい毎日を送っていました。でも、天皇皇后両陛下が来てくださったことで、生きる力をいただきました」(南三陸町、男性)「自分たちは見捨てられていないという心強さを感じました。

天皇皇后両陛下の温かなオーラに癒された思いがいたします」(南三陸町、佐藤仁町長)「天皇皇后両陛下のお見舞いを受けてから、人々の気持ちは前向きになっています。おそらく両陛下のなかに日本人の心を見たのだと思います」(宮古市、山本正徳市長)

こういう手記を読みますと、天皇陛下と被災地の人々との間には、まさに
「もてなしの心」が行き交ったのではないか、とも思われてきます。

天皇は日本人の心の軸なんですね。精神性の核です。

「日本人の心を見た」とありました。

 ええ、日本の心そのものですね。震災によって心に痛手を負った人々が、天皇という日本の心に触れて再生への気持ちを奮い立たせたということは、あらためて記憶に留めておくべきことだと思います。天皇の御存在がどれほど日本人に潤いと力を与えていることか。天皇陛下を遠くから拝しただけで、涙が出るという人、多いでしょ。

私はずっと不思議に思っていたんですが、天皇の権威が宗教的なものに由来していると理解するようになって得心が行くようになりました。

日本では、都(みやこ)や御所の周りに城壁がありません。これは世界ではありえないことです。それは天皇が軍事的な権力によって保たれてきたのではなく、超越的な宗教性を身に帯びた存在とみなされていたからにほかなりません。ですから日本人にとって天皇はやはり神々の子孫なんですよ。祭祀を通じて常に祈ることで、自然と一体となり、神々の心に近づかれる御存在。

日本人の自然に対する向き合い方と天皇に対する向き合い方は、同じ方向だと思います。こんな存在は世界にありません。ですから、日本人は、天皇という心の財産を持っているということに感謝しなければならないんですよ。

★若者は"日本"に飢えている

にもかかわらず、現代日本人の多くが天皇についてあまりにも無知なのは遺憾です。伊勢の御遷宮が進行中なのに、伊勢神宮も天照大御神も知らない若者も多い。でも、本当は彼らは知りたがっているんです。その機会を戦後の教育環境が奪ってきただけなんです。

私は大学で、日本史の授業を受け持っています。そこでは天皇を中心とした歴史を教えていますが、目の輝きが違うんですね。

「高校までに教わったことと比べてどう?」と聞くと、「大学でこの授業を受けられたのは最高によかった。なんでこれまで教わってこなかったのか、悔しい」と。若者たちは天皇のこと、日本のことを本当は知りたいんですよ。

だって、自分のルーツじゃないですか。先述したように私の学部は国際学部で、外国のほうに関心が高い学生が集まっているはずなのに、授業や茶道部で日本のことが学べたことを本当に喜んでくれます。知識だけじゃなく、心の栄養になっているようなのです。

今まで自虐的で民族の誇りの無い教育を受けてきて、目がちっとも輝いていなかった学生たちが、日本の素晴らしさを知って、「生き甲斐を感じた」とまでいうんですよ。歴史の真実を学んで、日本人としての自己の根源が見えてくる。だから目が輝いてくるんじゃないでしょうか。


 先生に教わる学生たちがうらやましいですね。

 私は、日本の素晴らしさを知ることは、学生の人生だけでなく、世界を救うと信じているんです。いま世界はどこを見ても絶望的です。どこにもモデルがない。中国や韓国が経済成長しているといっても、それは行き詰まりつつある西洋文明を真似ているに過ぎない。

世界を救う智恵は、日本の中にあるんです。私は日本に絶対的信頼を置いているんです。いまの日本のことじゃないですよ、伝統の日本です。日本の歴史と文化と伝統を掘る中からしか世界を救う道はみえてこない。私は、自分で、
"日本教"の伝道師だと名乗っているんです(笑)。

『私はいかにして日本信徒になったか』(PHP、ワック)という本まで書いているくらいですから。そして誤解を恐れずにいえば、
震災からの復興はある意味でチャンスなんです。これも、先の本誌に書いたことですが、私は、安政の大地震を思い浮かべています。

日本では、「新しい世のはじまり」を期して元号を変える改元が幾度も行なわれてきましたが、天変地異を理由とした改元は平安時代以降59回も行なわれていて、幕末の嘉永から安政への改元は、黒船来航とその翌年に立て続けに起きた巨大な東海地震、南海地震等が理由でした。

そして改元後の安政2年、直下型大地震が江戸を襲いました。このとき、江戸の庶民たちは、地震は「世直し大明神」がこの世を建て直すために起こしたとしました。

今回の地震を
「天罰」といって、石原都知事が叩かれましたが、その真意は誰もが分かったはずです。日本人全体への警鐘なのだと。事実、さきほど紹介した学生たちのように、これまでの生き方を反省して、新しい出発とした人も多かったはずです。

かつては
国家のことを語るなんて右翼だと言っていた学生たちが、いまは真剣に国家について論じるようになりました。

日本のためにどうしたらいいかということをよく話しています。私は、これをかつての江戸庶民のように、世を一新していく建て替えへの第一歩としなければならないと思います。

それが大きな犠牲を無にすることのない道だと思います。安政の江戸大地震から13年後が明治維新でした。平成の私たちにできないはずがありません。それを信じて頑張りましょう。(平成24年1月26日インタビュー)
情報源=日本の息吹3月号=日本会議