東京雪州会の皆様には、常にふるさと壱岐に想いを馳せていただき、壱岐の発展のために陰に陽に多大のご支援を賜り、誠にありがとうございます。 私は今年五月一日第五代芦辺町長に就任し、熱き思いを以って町政を推進しているところでございます。 さて、ご存じのように八月一日総務大臣告示により、平成十六年三月一日に壱岐四町が合併し壱岐市が誕生することが確定いたしました。 近代の壱岐史年表によりますと、明治元年二郡二十四村から始まり明治二十二年町村制施行により、二郡十二村、明治二十九年壱岐・石田二郡を併せ壱岐郡となっています。更に昭和三十年から三十三年にかけて昭和の大合併により、現在の壱岐四町の姿ができています。 明治以来百三十五年の歳月をかけて壱岐がひとつになる日が間近となって参りました。今までの枠組みを解き、大同団結を図るには産みの苦しみを伴うことが予想されますが、カを合わせてこれらを乗り越えなければならないと思っています。 壱岐の将来を展望したとき、少子高齢化、過疎の進行といった厳しい現実もありますが、今後発展する要素も大いにあります。その原点は交流人口の増加を目指す点にあります。 白砂青松の豊かな自然。次に、原の辻遺跡です。日本古代史最古の資料、魏志倭人伝に出てくる三十余国の中で、唯一その王都が特定されたものであり、その意味でその時代を物語る日本一の遺跡だと確信するものです。国の特別史跡指定を受け、金子長崎県知事は埋蔵文化財センターを壱岐に建設することを英断されました。東アジア的視点にたった学術研究がなされることになっており、併設する原の辻展示館とともに国際交流をも視野に入れた人々の交流拠点となることが期待されています。 また、壱岐は海を隔てているとはいえ、九州一の大都市・福岡市に七十キロメートル、ジェットフオイルで一時間の距離にあります。通勤圏としての構想を、夢物語ではなく実現可能な政策として樹立していきたいと考えております。多様な通勤形態を見ておられる諸兄のご意見を賜りたいと存じます。若者の職場の確保は喫緊の課題であると同時に、人材の蓄積をしておくことがやがて訪れるであろう在宅勤務の時代に対応するためにも必須であると考えております。 皆様のふるさと壱岐は、恵まれた島です。輝く要素はいくらでもあると信じております。壱岐市誕生を契機に、壱岐の島が未来へ羽ばたくため、皆様のさらなるご支援ご助言を切にお願い申し上げます。 |