翔飛第37号 天空の敬礼地上で返礼 海法さんと武士道 『武士道』あらためて感服 JPN ![]() 海法さんと 『武士道』 日米パイロット感激の対面 ![]() 大空の敬礼から55年、再会が実現したB29の搭乗員だったハローランさん(右)と敬礼した海法さん=千葉県船橋市で 日米パイロットが再会 首都圏一帯で、日米の激しい空中戦が展開された太平洋戦争末期の一九四五(昭和二十)年一月未、千葉と茨城県境の上空で機体を損傷した米軍のB29爆撃機から脱出した米兵が、パラシュート降下した。急接近する旧日本軍機に機銃掃射を覚悟した米兵だが、旧日本軍機の乗員は機中から敬礼し、旋回して帰還した。「武士道に命を救われた」と感じた米兵は、戦後も敬礼した旧日本軍機の元乗員を捜し求め、二十三日、五十五年ぶりの再会が地上で実現。千葉県船橋市内の元乗員宅を訊問し、丁重に″返礼″した。 B29爆撃機の航法士だったのは、米カリフォルニア州在住の陸運会社元社長R・H・ハローランさん(78)。ハローランさんに空で敬礼したのは、当時、千葉県の陸軍飛行教育隊所属の伍長で、現在、船橋市に住む海法秀一さん(75)。 ハローラJさんのB29爆撃機は四五年一月、サイパン島を出撃したが、旧日本軍機に迎撃され、高度約七千bで脱出した。その際、敬礼した海法さんの姿に、死を覚悟していたハローランさんは「これが日本の武士道なのか」と感激.著者「ハップス(私の)戦争」のなかでも詳述した。 記述が米国の戦史研究家らの目にとまり、兵庫県宝塚市の航空戦史研究家、高木晃治さん(67)ら日米の有志がインターネットで情報交換、敬礼した元乗員が海法さんだったことを突き止めた。二十三日、持病で病床に就く海法さんと対面したハローランさんは「あの時は撃たれると思い震えていた。ありがとうございます」と、念願の礼を返し、海法さんと固い握手。敬礼について海法さんは「部隊長から落下傘降下中の米兵を撃ったり、落下傘のひもを切ってはならない。日本には武士道、西欧には騎士道があると諭されていた」と説明。ハローランさんは、あらためて感服したようだった。 海法秀一氏少飛十三期生 航空機画家(東京新聞平成十二年十月二十四日掲載) |