チンギスハンの霊廟跡 大量の馬骨出土、祭祀跡も確認,"世界7不思議" 墓特定へ前進



モンゴルでチンギスハンの宮殿跡とされる遺跡を調査している日本とモンゴルの合同調査団(総隊長=加藤普平・元国学院大教授)は四日、チンギスハンを祭った霊廟を発見したと発表した。墓は見つかっておらず、調査団は「この発見で当時の文化や東西交流の様子が明らかになるとともに、墓の特定に一歩前進した」としている。
当時のモンゴル民族には地上に建造物を残さず埋葬する習慣があったためチンギスハンをはじめ皇帝十六人の墓はいずれも発見されておらず、”世界の七不思議”の一つに数えられることも。 調査団は国学院大、新潟大を中心に構成、二〇○一年からウランパートルの東約二百五十`に位置するアウラガ遺跡の調査を進めている。今年夏の発掘調査で、十三世紀末から十五世紀中ごろの祭祀の痕跡、角がない牛や馬の頭、首、あばら骨などが発見された。さらに、高貴な人物の祭祀に使われる中国の高級磁器も出土した。モンゴルの歴史をつづった「元史」には、チンギスハンの死後三年間、穴に埋めた動物を焼いて死者の霊を慰める儀式が毎日行われたと記録されている。この記述と今の遭跡の状況が一致、通常は食用にしない馬の骨が大量に出土したことから、調査団ではアウラガ遭跡はチンギスハンの霊廟と断定した。調査団の白石典之・新潟大助教授は「各種文献では霊廟の近くに墓があるとされており「墓の位置の特定につながる」と期待しているが、「外国人が英雄の墓を発掘することには抵抗もあるだろう」、として、墓の探索はしない方針。
(情報源:産経新聞2004.10.5)


鯉渕信一・亜細亜大教授(モンゴル学)の話「非常に夢のある興味深い結果。モンゴル帝国の
遭跡はあちこちにあるが、いずれも実証的裏づけが弱く、帝国草創期の状況はまだ分からないこ
とが多い。日本の考古学が世界史を席巻した強国の本質に一歩迫る成果を収めたといえる。今後の
研究への大きな足がかりになるだろう」


チンギスハン(1162年ごろ-1227年)モンゴル帝国(元)の創始者。13世紀初頭
に建国。一代で現在の中国からロシアに至る広大な国を築き、世界史上まれに見る発展を
遂げた。生涯についてはわずかな文献が残るのみで謎が多い。「元寇(げんこう)」で日
本を襲ったフビライハンは孫。