第2日・3日【(7月24日(木)・25日(金)】)
2、対馬国
 対馬は博多から約130`、朝鮮海峡を挟み、釜山まで一衣帯水50`という国境の島である。全島の九割は山林で占られ、入江が多く浅茅湾など美しい景観が見られる。『隋書倭国伝』にも、その名があり、大陸交通の要地。3世紀の頃には千余戸の住民がいたという。弥生遺跡には、半島系と北九州系の遺物が同時に出土する。大陸半島との往来の寄港地、「津の島」が対馬の名となった。延喜式は上県・下県(カミ・シモアガタ)の2郡とし、遠国の下国にランクされていた。

 国府・国分寺は古くの府中、府内であった厳原町にあった。天智6年(667)白村江で敗戦した日本は、半島からの侵攻に備え、この地に金田城を築き防衛策とした。のち刀伊の来襲、元寇の文永・弘安の役、室町時代め李氏朝鮮、応永の外寇など、しばしば、外敵の襲来があった。

 鎌倉時代は太宰少弐氏(武藤)が守護。在地官人、阿比留氏を排除して、宗氏が守護代として支配。室町・江戸時代を通じて、朝鮮との貿易の利権を独占していた。廃藩置県により巌原県となり、伊万里県・佐賀県・三瀦県を経て長崎県に吸収された。

◎対馬一宮海神神社(ワタツミ、カイジンジンジャ)
                  〒817-1303 長崎県対馬市峰町木坂伊豆山 TEL 0920-83-0137
●対馬一宮は峰町木坂伊豆山にある海神神社である。隣町、豊玉町仁位の和多都美神社(ワタツミジンジャ)と紛らわしいので、俗称「カイジンジンジャ」と呼ばれている。宮司さんも両社を兼務されている。

●延喜式内対馬国29座の内、和多都美の名が四社ある。いずれも、明神大社で社格は高い。海神神社は上県郡和多都美御子神社明神大と見られる。古くは上津八幡宮といい、現在の厳原八幡宮は、この神社の下宮とされ、下津八幡宮(八幡新宮)と称されていあた。

 社伝によると、神功皇后が新羅征伐の帰途、幡八旒を祀らしめたもので、わが国の八幡宮創始の地という。

 在の巌原八略宮は、この神社の下宮とされ、下津八幡宮(ノ\幡新宮)と称されていた。
 社伝によると、神功皇后が新羅征伐の帰途、幡八旒を祀らしめたもので、わが国の八幡宮創始の地という。

●祭神 主神 豊玉姫命 配神 彦火々出見命(豊玉姫命の夫神)・鵜葦草葦不合命(ウガヤフキアエズノミコト、神武天皇の父君)道中貴ノ神(ミチナカムチ、宗像三女神) 豊玉姫命は海神、大綿津見命の姫。神武天皇母君、玉依姫命の姉君。

つづく