平成16年(2004年)7月4日 日曜日・サンケイ新聞正論

子供は大自然から授かった奇跡の命  「生命とは何か」の重要さを考える

私たちは地球年齢38億歳

イラク各地で自爆テロなどによる死傷者の報道が後をたたない。日本では、長崎県佐世保市の小学生による殺害事件など、目を覆いたくなるような事件が起こっている。 現在、日本の出生率は1.29にまで落ち込んで各方面に衝撃を与えたが、この陰には、親の勝手な都合により犠牲になった多くの胎児の生命もある。これらの事実に対して、いろいろ議論や対策が論じられている。

 私はこの中で重大なことが欠けていると思っている。それは「生命とは何なのか」「生命はなぜ尊いのか」「なぜ人を殺してはいけないのか」などについての基本的な問題が見過ごされていることである。 まず、私たちは子供をつくると簡単に言うが、それは人間の傲慢であり、人間の力だけでは子供はつくれない。一個の受精卵から、わずか三十八週間で数十兆個の細胞からなる新生児のプログラムを書いたのは人間ではない。

 生物は約九億年前ガら、両親が子供をつくるという営み(有性生殖)が始まり、目覚ましい進化を遂げるようになった。環境の変化に適応し、約三千万種の多種多様な生物や人が地球上に生まれ、現在に至っている。人の場合、有性生殖から数えても九億年、最初の生物から数えると約三十八億年の生物の進化のドラマが母親の胎内でわずか三十八週で進行する。妊娠初期二十四日ごろのヒトの胎児は魚に似ている。驚異的なスピードで、遺伝子暗号のプログラム通りのドラマが進行する。まさに神業である。私たちの年齢は、地球生命三十八億歳である。

 遺伝子巡る不思議な動き

 ヒトの遺伝子暗号は約三十億個のA、T、C、Gと略される化学の文字から構成されている。このヒトの設計図がデタラメに書けるわけがない。もし、A、T、C、G の文字を使って三十億個が偶然に並んだとすると、その可能性は四を三十億回掛け合わせた可能性がある。

 このような超天文学的な可能性の中から、われわれ一人一人の遺伝子暗号は選ばれている。ヒトの遭伝子暗号が偶然につくられる確率は無限にゼロに近い。 木村資生博士は、ダーウィンの進化論に対して「中立的進化論」を唱えて世界的に名を知られた有名な遺伝学者である。その木村博士は「生き物が生まれる確率は、一億円の宝くじに百万回連続で当たったのと同じくらい凄いことだ」述べている。

私は二十年以上遺伝子の研究をしているが、万巻の書物に匹敵する情報を極微の空間に書き込み、その暗号通り動かしている不思議な働きを実感してきた。この働きは人間業ではなく、大自然の偉大な働きであり、私はサムシング・グレートと呼んできた。

 生命科学は過去五十年間素晴らしい勢いで進歩した。しかし、世界の学者を総動員し、世界の国家予算をすべて使っても、木の葉一枚、細胞一つを元から創れないのが現状である。それは「生命とは何か」 「生き物を動かしている本当の原動力とは何か」いうことが、いまだ科学的にはほとんど分かっていないからだ。科学者も一般の人も、生命やそれを生み出し、一刻の休みもなく生かし続けているサムシング・グレートの前に謙虚になるべきであろう。

男女産み分けは人間の傲慢

 サムシソグ・グレートの働きをいっさい認めない人は、生物は原子や分子が偶然に結合してできたにすぎないという。しかし、生物の誕生は科学的にみても決して偶然だけではない。もし、生物の誕生が偶然であり、いま、生きていることも当たり前だとすれば、生命は、なぜそれほど尊いのであろうか。

 両親の染色体の組み合わせにより生まれる子供の可能性は、なんと七十兆にも達する。私たち一人」人は七十兆分の一の存在なのである。それも、全体として、男女がほぼ半数ずつ見事に生まれる。

そのような意味でも、男と女の役割は違うが、価値は平等である。それを人間の都合だけで、男と女を産み分けるのは、人間の傲慢ではないか。 親は子供を、自分たちの意志や努力だけでつくったのだという考え方を、改めるべきだと思う。子供は大自然からの授かりものである。自分の子供は、自分の所有物ではない。ましてや他人が、子供をつくるように期待しすぎてはいけない。

 私たちはサムシソグ・グレートの働きを知り、生きていることのありがたさに感謝し て毎日を過ごしたい。そして、このことを家庭や学校で、子供に科学の成果もふま えて繰り返し伝える必要がある。 (むらかみ かずお)