精神世界という宗教                                                             
 マックス・ヴエーバーは、宗教はエトス、行動様式であると説いた。 宗教というと、普通の人は神や仏が必要だと思っているが、そんなことはない。いるいないに関係なく、行動様式たりえれば宗教である。儒教には天という超存在があるだけで、神も仏もいないし、仏教にしても仏はいないと平気でいっている。
                         
 キリストだ、ヤハウエだというのではなく、例えば宇宙意志などという抽象的な言い方や、自らの魂を信仰するとか、いま流行りの精神世界的な世界観や、自らの魂を神とする考え方というのも、宗教として律することができる。
 
 本来、仏や神というのも仮の名前に過ぎないのである。ユダヤにはヤハウエという神がいて、キリスト教にはイエスがいて、イスラムにはアツラーという神がいる、という認識がそもそも間違っていて、いってみれば絶対の創造者のことをそれぞれがそう呼んでいるに過ぎない。であるから、
    
 それが宇宙意志だろうが、魂だろうが、精神世界だろうが、信仰対象となり、宗教であることに変わりはないのだ。
                                           
 もう一つコメントすると、そもそも「ゴッド」を日本語で「神」と訳したのがいけない。誤訳といってもよい。日本の神様というのは、「八百万の神」といわれるほどたくさんおられるのだから、ゴッドの観念、唯一絶対の創造者とはかけ離れている。だから、「アツラーの神」などというおかしな表現を平気でするのであって、アツラーさんという名前の神がいるのではなく、誓(たと)えていえば「神」という漢字にふりがなをふるとき、イスラム教徒は「アツラー」、キリスト教徒は「イエス」、ユダヤ教徒は「ヤハウエ」とふるようなものなのである。 ちなみに、中国では「ゴッド」を「天主」と訳しており、「神」とは区別をしている。
(情報源:日本人のための宗教・原論P-388 小室直樹著・徳間書店 ¥1800)