日本翻訳版の「青春」(松永安左エ門訳との説) 情報源:「青春という名の詩」宇野収・作山宗久 著・産業能率大学出版部刊 青春 青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言 うのだ。逞しき意志、優れた創造力、炎ゆる情熱、法襦を 安易を振り捨てる冒険心却ける勇猛心、こういう様相を 青春というのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を 失うときに初めて老いがくる。歳月は皮膚のしわを増すが、 情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悩や狐疑や、不安、恐 怖、失望、こう言うものこそ拾も長年月の如く人を老いさ せ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七〇であ ろうと、十六であろうと、その胸中に抱きうるものは何か。 曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも 似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、 小児の如く求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。 人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。 希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる。 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そし 偉力の霊感を受ける限り人の若さは失われない。これら の霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつく し、皮膚の厚氷がこれを固くとざす至ればこの時にこそ 人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。 (松永安左エ門訳) "YOUTH" Youth is not time of life.....It is state of mind; it is a temper of the will, a quality of the imagina- tion, a vigor of the emotions.a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love of ease. Nobody glows old by merely living a number of years; people glow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the sikin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt, self-distrust, faer and dispair.....these are the long, long years that bow the head and turn the glowing spirit back to dust. Whether seventy or sixteen ,there is in every being's heart the love of wonder,the sweet amaze- ment at the stars and the starlike things and throughts, the undaunted challenge of events, the unfailing childlike appetite for what next, and the joy and the game of life. You are as young as your faith, as old as your doubt; as young as your self-confidence. as old as your fear,as young as hope, as old as your despair. So long as your heart recieves messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the infinite, so long you are young. When the wires are all down and all the centaral place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism. then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul. Given to MacArthur some years ago by Jhon W,Lewis. It is based on a poem written by the late Samuel Ullman of Birmingham, Ala. |
・・・・巻頭にかかげた「青春」の詩オリジナルの日本語訳は私の訳となっていますが、見られるとおり一説に松永安左エ門訳と称せ
られるものにそのひびきと語彙の多くを負っています。現代語と漢語との奇妙な入り混じりに見えるかもしれない著者訳は自分の時代
と殻を象徴するものでしょう。美しくオリジナリテイーの高い日本語訳をこれからも私の課題とします。(P−142から)
YOUTH
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昭和六十三年一月三十日 第1刷発行・感動の詩賦「青春」・宮澤次郎著. 著者によると「青春」の翻訳者を岡田義夫氏であることを突き止められ、現在、著作権は岡田氏の子息の治朗氏に受け継がれ、 「青春の会事務局」会長の宮澤次郎氏が権限の行使の委任を受けておられます。(P-196から) 私がここで改めて法律を持ち出したのは、最近、この詩が有名になってきたのに目をつけて、種々の加工をして商品に仕立てて販売 しようとする動きが出てきたからである。高価な額に入れた"商品"を見たが、詩文はいくつかの翻訳を混ぜ合わせたようなものになっていた。 その中には岡田氏の訳と明らかに分かる文章もあった。 コメント マッカーサーの座右の銘としての「青春」の詩はGHQのマッカーサーの部屋にあった。それを「電力の鬼=松永安左エ門翁」が 戦後の電力再編のためにGHQに日参されているおり「青春」を眼にして、所望され、翻訳されたと言われているということを知り、 同郷人として二重に感動していた。 丁度、そのとき一通の電子メールが「青春」の翻訳者は岡田春夫という人であるが・・・ご存知ですかという故郷(壱岐)に飛び込んできたという。 各方面で情報を収集した結果(宇野収・作山宗久著・「青春」という名の詩)と(宮澤次郎著・感動の詩賦「青春」)の二著にすべてが あることが判明した。マッカーサーの”座右の銘を”リーダーズ・ダイジェストが取り上げそれを読み、感動した人達が 日本人の、特に経営者の方々の中におられ、静かに広がっていたと知り、早速取り寄せ読んで見ました。 ”「青春」という名の詩”著者は詩のルーツを探し出し、”感動の詩賦「青春」”の著者は翻訳者のルーツを探っておられます。 そして両著とも見事に目的を達成されています。まさに感動の両著です。 しかし、確たる証拠はないにしても松永翁」のGHQとの関係、更には晩年のトインビー博士との「歴史の研究」の翻訳権の取得の経過 等からみても十分に翻訳されたことは十分推測できる(シュペングラーの西洋の没落を原書読み研究されており、また漢詩も作っておられる) 明治人の教養を秘めておられたことはだれもが認めるところであるとともに「青春」の詩そのものを実践された翁と思われてならない。
21世紀、戦後、平和55年の歪が顕在化し「心の世紀」と言われている今日、感動を再びと引用させていただきました。 両著に感謝しつつ!。 何か問題がありましたら即削除等の処置をいたします.管理人
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