ノモンハン事件=ハルハ河戦争「敵味方鎮魂地球平和祈願」
(於:モンゴル・ウランバートル、ガンダン寺)ご報告
     全国一の宮巡拝会近畿ブロック世話人 関口行弘 (平成16年9月9日)

昨年9月に長崎県壱岐市において「元寇の役敵味方鎮魂地球平和祈願」が壱岐国一宮天手長男神社を舞台に、モンゴル国最大の寺「ガンダン寺」のハンバラマ管長猊下他2名、日本から高野山蓮花院東山泰清大阿闍梨他3名をお招きして、盛大に鎮魂祭が行われたことは既に皆様は「壱岐ルネッサンス」としてご承知のことと存じます。当日はモンゴル駐日大使他関係者多数。モンゴル国営テレビも来日しました。ところがモンゴルではこの「元寇の役」は一般の人達にはほとんど知られておりません。むしろノモンハン事件(モンゴルではハルハ河戦争と呼ぶ)の方がよく知られているということでした。そこで今回はモンゴルにおいてノモンハン事件=ハルハ河戦争の鎮魂祭を行うことになりました。昨年の9月以降、入江世話人代表を中心に関係者の努力が実り、やっと本年8月28日にガンダン寺で実現することになりました。

 8月25日には入江世話人代表、高野山蓮花院東山泰清住職、熊本市の蓮華院誕生寺川原光祐住職、関東ブロックの竹富鉄一会員と入江眞会員、近畿ブロックの中瀬光雄会員と関口の7人が成田空港に集合しました。空港には関東ブロックの塩原輝昭世話人が壱岐ルネッサンスのポスターの原画をガンダン寺へのお土産品として持参していただきました。ところで、モンゴル航空の出発は3時間遅れで夕方ウランバートルの空港到着予定が大幅に遅れてしまいました。しかし、VIP待遇で入管手続きも簡単に済ましVIPロビーでは旭鷲山と偶然に出会い握手を交わすなど、モンゴル到着を実感しました。また、カラコルム大学教授根岸健一先生のお出迎えを受け一同オチルゲストハウスへ向かいました。途中のモンゴル国会前のメインストリートには8月28日のガンダン寺での鎮魂祭の看板が目に入りました。看板には、入江代表、東山住職、川原住職と昨年の壱岐の鎮魂祭の風景の写真が掲載されていて、一同思わず笑みがもれました。

26日早朝から根岸先生の計らいでモンゴルの国会議事堂を訪問して、オユン副議長に面会。その後ガンダン寺を訪問して、ハンバラマ管長とエンフバヤル前首相に面会。ここで壱岐国ルネッサンスのポスター「元寇の役」をシンボライズした長岡秀星作の原画をプレゼントしました。日本とモンゴル国の友好の証として、永遠にその心を伝えたいことを念願して、壱岐出身の竹富氏からハンバラマ管長と前首相に手渡されました。通訳は壱岐でもお世話になったニンジンさんと元モンゴル国駐日大使のフレール・バートル氏。取り急ぎ訪問の趣旨報告を行いました。午後から、かってのモンゴル帝国の首都カラコルムへ向けジープで出発。モンゴル特有の大草原と真っ直ぐにのびた一本道は雄大そのものですが、穴ぼこだらけの路面と途中道路の補修で走行できず、やむなくオフロードを飛ばして約8時間の行程で、かなりハードでした。その夜は、モンゴル名物のゲルにて宿泊。

27日早朝はハラホリン=カラコルムの町と大仏教寺院エルデニ・ゾー及びラブラン寺を見学。その後は乗馬などを楽しみました。午後はカラコルム大学を訪問。今回入江世話人代表はカラコルム大学の客員教授に就任され、日本語を学ぶ学生を前にスピーチと初めての講義をされました。昼食は我々とカラコルム大学学長と学生による会食で和やかに交換パーティが行われました。午後4時ごろウランバートルに向け出発。ゲストハウス到着は夜中の0時過ぎでした。

 28日はいよいよ鎮魂祭です。東山住職と川原住職はそれぞれ正装をされてガンダン寺境内の特設ステージへ。モンゴルのフレール・バートル氏の司会エンフバヤル前首相の挨拶の後入江代表の挨拶が終わり、日本側の読経が始まりました。続いてモンゴル側の読経が始まり式典は約2時間で終了。ここに集まった多くの人達は静粛に聞き入り、また、お布施をそれぞれの僧侶の前に差し出し、彼らの厚い信仰心がうかがわれました。その間、モンゴルのテレビ局や各新聞社の取材に入江代表は大忙しでした。夕食のディナーはガンダン寺の迎賓館「特設ゲル」においてウエルカムパーティーが催され、馬頭琴やホーミーなどとモンゴル料理を一同堪能しました。

 29日はガンダン寺を再度訪問して、ガンダン寺の副管長と仏教大学副学長のご案内で寺をお参りさせていただきました。ガンダン寺の高さ25メートルの金色に輝く大観音像は有名で、見事なお姿でございます。また、子どもたちの読経が爽やかに聞こえました。午後は根岸先生が支援・活動されている孤児院に立寄り、彼らと一時を過ごしました。彼らの必要なものをプレゼントし、特に自転車は子どもたちに大変喜ばれました。お返しに子どもたちから日本の歌「ふるさと」とモンゴルの歌を合唱してもらい、彼らの特技も披露してくれました。彼らの笑顔と輝く目を見つめて、我々は感動で言葉もありませんでした。

次いで日本人墓地へ行き供養を行いましたが、近くの1765年創建(ウランバートル建設は1778年)のダンブダルジャ寺では第二次世界大戦でソ連の捕虜になって、この地で強制労働を強いられて亡くなった日本兵の慰霊祭を5年前(自由化)から秋の月(旧15日)にしていただいているそうです。94歳になるダシェレンチェン住職が「ここだけが日本人捕虜の慰霊をしています」と淡々と語られるお姿はまさに活仏そのもので、我々の訪問を大変喜んで手厚くもてなしていただきました。師は「この歴史の現実を皆さんの敵味方鎮魂慰霊の心と一緒に世界に広げたい。若い僧たちはインターネットで発信したいと言っている。」と言われ、お傍に仕える若い僧侶の凛々しさにも我々は心を打たれました。

その夜は、我々による韓国料理店でのフェアウエルパーティーを開催。ガンダン寺の若い僧侶をはじめ関係者60人以上が集い盛大に催されました。入江代表の謝辞で「ローマ法王や世界の宗教家や識者による、世界平和祈願は数多く全世界で行われているが、一向に平和は見えてこない。お釈迦様のいわれる『怨みは、怨みによって決して静まるものではない。だが、(怨みは)怨みなくしてこそ静まる。これは永遠の理法である』(法句経・ダンマパダ)。という言葉の通り、戦争などで悲惨な死を遂げた兵士や一般の人々の霊を慰め、敵味方の双方を鎮魂することが大切で、このことにより全世界の地球平和祈願が訪れるのです。その意味で今回のノモンハン事件=ハルハ河戦争鎮魂地球平和祈願は大きな意味がありました」。との言葉は感動的でした。モンゴルの人達にも感動を持って、今回の式典は受け入れられました。終始なごやかに時は流れ、最後の閉めは、フレール・バートル氏と関口が日本式のサン・サン・ナナ拍子の手打ちを行い、参加者全員の手拍子で閉めました。

 30日の午前中はウランバートルの中央市場の見学をして、6時間遅れの便で成田に帰国。帰りの便は31日の朝青龍の日本での結婚式がある為でしょうか、馬頭琴の一団なども一緒に乗り込み全席満員でした。