ノモン八ン事件・ハルハ河戦争「敵味方鎮魂地球平和祈願」 参加募集

日 時 平成16年(2004)8用27日(金)午前10時
場 所 モンコル団ウランバートル・ガンタン寺
導 師 ガンタン寺デンベレル/チヨイジャムツ八ンプラマ管長猊下
   高野山蓮花院東山泰清大阿闍梨
参 加 要 領
            
参加日程 平成16年8日月25日(水)〜平成16年8用30日(月)5泊6日間

       25日(水)成田空港13:30(モンコル航空)⇒18:40ウランバートル空港
           ⇒ウランバートル泊

       26日(木)マンジュシュリヒード寺院遺跡(社会主義時代僧侶虐殺地)供養
           ⇒ウランバートル⇒市内見学⇒ポウドハ−ン博物館⇒恐竜博物館⇒日
           本人墓地⇒ウランバートル泊

       27日(金)ガンタン寺・ノモンハン事件敵味方鎮魂地球平和祈願供養
           ウランバートル泊

       28日(土)郊外⇒カラコラム遺跡へ⇒ツーリストキヤンプ・カラコラム泊
       29日(日)ウランバートルヘ
          市内見学サイサンの丘⇒スフバトール広場⇒ザハ(市場)⇒
          ウランバートル泊

       30日(月)ウランバートル空港11:30(モンコル航空)⇒16:00成田空港
         参加費用(概算)230,000円 *1名参加者は2名/3名1室の相部屋利用時の料金
         *費用の決定は7/16までに行います

係 員 世話人/現地日本語ガイド
※お申し込み・資料請求はTELー03−3294−1800ETS海外旅行手配課までお問い合わせ下さい


         ノモンハン事件(ハルハ河戦争)65周年日本・モンゴル友好条約30周年
          モンゴル国ガンタン寺・高野山蓮花院・全国−の宮巡拝会
                      ノモン八ン敵味方鎮魂地球平和祈願
                                      ウランバートル・ガンタン寺に於いて
                                      全国−の宮巡拝会世話人代表 入江 孝一郎

 ノモン八ン事件を知っている人は少ない、昭和14年(1939)5月から9月まで、モンコルと旧満州(現中国東北部)に於いて、日・ソ両軍の越境の激戦が起きた。これをモンコル国では八ル八河戦争と呼んでいる。今年はその65周年、また、モンゴルと日本の友好条約を締結30周年を迎える年である。

 昨年秋の平成15年(2003)9月16〜18日に、モンゴル国ガンタン寺・高野山蓮花院・壱岐国−の宮天手長男神社が「元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願」を行った。 その準備のために、モンゴル第−の寺院ガンタン寺の八ンフラマ管長に面会をしたときに、「モンコル人は元冠の役は知らないが、ノモン八ン事件は誰もが知っている」と言われた。殴った方は忘れるが、殴られたことは忘れないという諺がある。八ンフラマ管長現下が壱岐に来られたとき、モンゴル国営テレビが元冠の役の取材で同行し、管長現下が元冠の役の戦跡で祈っている婆を取材し、モンコル団で放映された。

 戦場で「いのち」を失った敵味方の戦いは歴史に記録されているが、その死者に対して花の−つも、一本の線香をあげられないまま、辺境の地に置かれたままである。寂しさと悔しさの余り、怨みがつのっているのは、我が身に置き換えて考えてみれば理解できるであろう。 ノモン八ン事件敵味方鎮魂地球平和祈願のことは、壱岐へ来島されたときの行動の中で話題となったが、その翌年65周年に当るとは思いもよらなかった。目に見えない世界の導きを感じて不思議さと恐ろしさを思わせられた。

 ノモン八ン事件といっても、具体的に知っている人は少ない。平成10年(1998)発行の半藤一利氏の『ノモン八ンの夏』(文芸春秋)には事件というものでなく戦争であり、戦場で死んだ人々の無念さ、悔しさを痛切に感じられた。それは敵味方ともにいえることである。ノモン八ンの地名は、チベット仏教の活仏の次ぎに位した僧の役職名であるという。今は集落の名になっているが九州ぐらいの広さをもっている。日本が満州国を成立していらい、八ル八河が国境線とされ、付近は満州国領内に組入れられていた。

 そのことを認めない外蒙古側は、しばしば家畜を追って八ル八河を越えていたのを越境として、小さな戦闘から始まったのである。 春から草原に草が覆い茂るようになると、家畜に水と草をもとめた人々に少数の外蒙古軍が護衛についてきた。外蒙古はソ連の保護国で、日本軍の侵攻の防波堤の役割をしていた。小競り合いの戦闘が5用11日前日からつづいて起き、それがエスカレートしたのである。半藤氏の著書の中で「何のために戦ったのかわからないノモン八ン事件は、これら非人問的な悪の巨人たちの政治的な都合によって拡大し、敵味方に別れ多くの人々が死に、あっさりと収束した」と、勇戦力関して死んだ人々の魂が浮かばれないと思えてならなかった、と訴えている。

 昭和41年(1966)10用12日、靖国神社でノモン八ン事件戦没者の慰霊禦が行われたとき、戦没者1万8000人と報道された。ソ連軍も外蒙古軍の戦傷死者を加えると、2万4492人という惨たる数字が公開されている。双方で約4万2500人もの人々が、一望千里のホロンパイル、無人の広漠とした砂丘と草原の海のような広がりの中で命を落とし、傷つき、餓え、殺伐たる地獄を見たのである。

 敵も味方も、モンゴルの草原に魂は縛られたままにいる。 戦ったソ連軍がモスクワに凱施したとき、スターリンは日本軍の下士官兵の頑強さと勇気を賞賛している。時が過ぎればそれまでである。砂漠に魂が漂ったまま時が過ぎていった。ウランバートルの日本大使館で、ノモン八ン事件の慰霊遺骨収集の話を聞いたとき、現地の土を持帰りたくなるのは遺族として当然であるが、検疫などでトラフルがおきるという。何か目に見えない世界、怨霊のはたらきかとフト思った。省みられることもなく、そのまま捨ておかれていたら、その身で考えたらどうであろうか、早く救ってもらいたいのと、怨みが重なり怨霊となって妨害しているようにも思えた。

 その時は知らなかったが、平成13年(2001)8月、遺族や元戦友らの民間慰霊団が旧日本軍の鉄兜のそばに日本兵のものとみられる遺骨五柱を発見したが大地を掘り返す習慣のないモンゴル側の了解が得られなかった。翌年、厚労省の調査団も近くの場所で二柱の遺骨を発見して、外交ルートで収集許可を要請した。

 元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願の行われた平成15年(2003)11月に工ンフバヤル首相が来日した際に許可が得られて、その調整を進められてきた。そして今年、7月下旬から約二週間にわたりノモン八ンで遺族らの遺骨収集作業が65
年ぶりに行われることになった。 それは味方ばかりでなく、敵になった魂も救いを求めて見えない世界に右往左往していたのである’。残念ながら目に見えない世界からのメッセージは現世にとどかないでいたが、21世紀になって、その空気が変ってきた「気」が感じられる。

 壱岐国で元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願が、モンゴルのチベット仏教・高野山真言密教・壱岐国−の宮天手長男神社、さらには諸国−の宮が、壱岐国−の宮にあわせて同時刻に一斉に鎮魂をした。津々浦々の人々の「念い」が実って実現したのである。

 二年目を迎えたニューヨーク世界貿易センター9・11テロ追悼式典にチベット第14世タライラマ法王・モンゴル国ガンタン寺多神教への誘いは、共生への−つの現れである。
 ここに奇しくも、昨年暮れ、駐日モンゴル大使館の人々と壱岐国で元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願の反省会をしたとき、ノモン八ン事件・八ル八河戦争65周年になることが話題になった。八ンフラマ管長が来日のときに約束した「ノモン八ン事件敵味方鎮魂地球平和祈願」がモンコル第−の寺院ガンタン寺で実現される運びとなったのである。

 コピ砂漠にとどまるすべての霊魂に、チベット仏教・高野山真言密教の修法をもっての敵味方鎮魂地球平和祈願、広く多くの人々で−本の花、一本の香を捧げて御魂を鎮める道が開かれてきたのである。
 この趣旨に賛成の方はぜひ参加、もしくは浄財を−連の敵味方鎮魂地球平和祈願の行動にお願いする。