モンゴルに遺骨収集団
           ノモンハン事件戦没者 28日 政府が初の派遣


 昭和14年に起きたノモンハン事件の禅没者遺骨収集のため、厚生労働省の職員と遺族らが二十八日、
モンゴルへ出発する。政府の遺骨集事業はこれまで東南アジアやロシア、ニューギニアなどで行われてきたが、モンゴルヘの収集団の派遣,は初めて。大草原に眠る遺骨が六十五年ぷりに日本へ帰ることになる。ノモンハン事件ではモンゴル側も多数の犠牲者を出しており、モンゴル政府はこれまで、国民感情や風習の違いなどから遺骨収集を認めてこなかった。しかし、昨年十月のエンフバヤル首相来日を機に両国間で調整が進み、同十=月に初めて許可が下りた。

ノモンハン事件
昭和14年5月、満州(現在の中国東北部)とモンゴルの国境付近のハルハ"周辺で、日本の関東軍と旧ソ連・モンゴル軍が武力衝突した事件。モンゴルでは「ハルハ川戦争」と呼ばれる。モンゴル側の援軍にソ連軍が駆けつけ、ソ連の機械化部隊の大攻勢により日本側は壊滅的な打撃を受けた。9月に停戦協定が成立し終結した。

二十八日に出発するのは厚労省職員と遺族らの計六人。約二週間の日程で現地調査と収集作業を行い、日本兵のものとみられる遺骨が見つかった場合は茶毘に付したうえで日本に送り、千鳥ケ淵戦没者墓苑に納める予定で、「身元が判別できる遺品が見つかれば、持ち帰って遺族に返還したい」(厚労省)という。

ノモンハンは首都ウランバートルから約八百キロ離れた同国東端の国境付近にある。戦闘で日本側は約五万八千人のうち約八千人が戦死。厚労省によると、うち約四千五百人の遺体は旧日本軍によって収容されたが、残る三千五百体は今も現地に眠っているという。平成十三年八月に現地を訪れた遺族や戦友の慰霊団は、多数の犠牲者を出したハルハ川付近の草原で旧日本軍の鉄かぷと
や軍靴とともに遺骨五柱を発見。翌年には厚労省の調査団がさらに一柱を発見したものの、持ち出
しは許されず、その場に仮埋葬している。

今回の収集団で案内役を務める「ノモンハン遺族の会」の木島寿雄さん(七九)は、ボランティアとして平成七年から遺族らとたびたぴ現地を訪れ、遺骨収集の実現に向けて奔走してきた。太平洋戦争末期に捕虜となり旧ソ連に抑留された経験のある木島さんは、六十五年ぶりに実現した遺骨収集に感無量の様子。「遺族も高齢になっており、異国の地に散った戦没者の遺骨を少しでも多く日本に持ち帰りたい」と話している。 
(産経新聞2004.7.26から)

コメント:
壱岐国ルネッサンスで、モンゴルに関係者の招請に行ったときに入江代表世話人はガンダン寺、文部科学省、外務省で敵味方の鎮魂を北条時宗公の故事に習い行いたちという熱心な説得にガンダン寺館長猊下は即断即決されたことが大変感動していましたがこれら一連の熱意が今回の遺骨収集許可にも影響したのではないかと思われます。