山陰ブロック世話人 ダステン・キッドさんの巡拝のきっかけ
           (巡拝会報第23号&24号から転載)

 私は神杜が好きです。雰囲気といい、建物と自然とのパランスといい,建物の歴史といい,魅力的なとこるがたくさんあります。落着きたいとき,日本の文化をもっと知bたいとき、何かを考えたいときに神社行くことが多いのです。

 神社の中で特に私にとって魅力的なのは「一の宮」です。この「一の宮」とは、昔の日本に「何々の国」が存在していて、その国の中に「一番」の神社があって「何々の国一の宮」と言われていました。ただし.時の琉れにつれて、強かった神社が弱くなったり、「一番」というランクを譲ったり、同じ国で二ヶ所以上の神社が一の宮になった場合は少なくありません。現在、歴史の中で一時的にでも一の宮」になった神社を全て一の宮」と見なした結果、六十八ケ国しかなかったものが全国に百ヶ所を超える一の宮があることになってしまいました。例えぱ、私が住んでいる島根県は、昔は出雲の国、石見の国、そして隠岐の国の三国がありました。

 当然、一の宮はそれぞれの国で一ヶ所ずつあり、合計三ヶ所になるはずですが、実際は五ヶ所の一の宮が今でも存在しています。ところで、私が一の宮」と初めに出会ったのは、私が島根大学で留学していた時です。一九九八年の秋から一年にわたって留学している間に、だんだん神社に魅せられて、あちこちの神社を訪れるようになりました。松江市内の小さな神社から大分県の宇佐神宮や長野県の諏訪大社まで、いろいろな神社を訪れました。私が回れば回るほど神社や神道のことを詳しく知りたくなって、社務所に置いてある由緒書きなどの資料を買って帰るようになりました。

 そして、一九九九年の夏に友達と隠岐の島に遊びに行った時に水若酢神社という神社に行きました。その神社が隠岐の国一の宮で、社務所に「全国一の宮鎮座地」という資料があって頂き、目を通したら、あることに気づきました。それはいろいろな旅先で、私は既に何ヶ所の一の宮を訪れていたということでした。これはただ偶然と言えなくて、「こんなに回っているなら、全部へ行ってみようじやなないかー」と思ったのです。それがら私は留学か終わるまで、できるだけ回ってみました。

 アメリ力に帰る一週間前に島根県太田市にある石見の国一の宮物部神社に行って、社務所で「ある物」に出会いました。本のような物で、よくわがらなかったので神主さんに聞いてみました。すると、全国一の宮御朱印帳ですよ。」と言われました。「朱印帳」とっさのことで何のことかさっぱりわかりませんでした。神主さんは「参拝された神社の印を押して、神社の名前を書いてもらう帳面ですよ。また.訪れた神社の記録でもあり、神社のお守りでもあります」とも言われました。そして「全国一の宮」の朱印帳は一の宮専用の帳面で,「もし日本に戻ることができたら、これを買って全国を回って一の宮を完拝したい。」と心に誓いました。

 アメリ力に帰って大学を卒業して,一年もかがらないうちに日本に戻ってくることができました。私はアメリ力で英語指導助手試験を受け、島根県を希望して二〇〇〇年七月に伯太町で英語指導助手として中学枝と小学校で英語活動を手伝いました。そして余暇を利用して早速一の宮巡拝を始めました。しかし,巡拝を始めた神社では、全国一の宮御朱印帳」しかなく、一般の朱印帳しか売っていませんでした。仕方なくそれを買いました。社務所で朱印をお願いしたら一の宮に限定しないで巡拝した神社すぺての朱印をこれに頂いたらいいよ」と神主さんに言われたので神社に行く度に朱印帳を持って朱印を頂ぎました。できるだけ日本にいたいという気持が強いけれど.どれぐらい日本にいられるのかわからなかったので,必死になって巡拝を続けました。一年間で何冊かの朱印帳で約半分の一の宮を巡ることかできました.福岡県と佐賀県の各一の宮巡拝をしていたとぎのことです。丁度同じころに全国をバイクで回りながら一の宮巡拝在続ける方が同じ地域を回っていました。

 私が川上神社の社務所に電話をかけたとき、その方がその神社にいて、「ほかに一の宮巡りをしている人が同じ所にいるのは初あてだ、会ってみたい」と思ったらしいのです。私はそれを知らず回りつづけ、夕方に肥前国一の宮輿止日女神社にいったら、その方が駐車所でバイクの隣で待っていました。彼は私を見て、がなり驚かれました。外国人が一の宮巡りをしているとは想像していなかったというのです。

 その日は彼(大谷武司さん〕といろいろな話をし、それからメールや電話で交流を深めました。一の宮巡拝のコツをいろいろ教えて頂きました。そして彼を通して、東京にある全国一の宮巡拝会と出合うことができました。全国一の宮巡拝会は一の宮の意識を広め、多くの方々に巡拝してもらって、一の宮である全ての神社に力を合わせるように活道をしている団体です。また「一の宮鎮座地」のような資料や「全国一の宮御朱印帳」などの一の宮巡拝者にとって必要な物を提供しているところです。

 大谷さんの招介で、その事務所と連絡をとることがでぎました。それを通して世話人代表の入江孝一郎さんと知り合いました。一度お会いしてお話しましょう」という話になりました。そして代表者の入江孝一郎さんと伊勢一の宮、椿大神社でお会いしました。そこで入江さんから「全国一の宮御朱印帳」を持つように言われました。その通りにしましたが、私は「今までこれを持たずに半分ぐらい回ってきている。残りだけを収めたら、この朱印帳は半端に終わる。でも、最初からやり直すのもどうかな〜」と悩みました。 確かに困りました。全部の一の宮巡拝を達成したいとがんばってきた一年間が、無意味になるのかと思うと、私は頭を抱えるばかりでした。しかし、冷静になって考えたら、これもよい機会ではないかと思えてきました。もう一度回ったら、新しい発見もあるだろうし、更に深い体験を得られるだろうと思ったので、気を引き締めて、もう一回最初から巡拝をすることにしました。それは二〇〇一年七月のことでした。一の宮巡拝会の力を借りながら、仕事の合間にがんばって巡拝を続けたお
かげで、二〇〇二年十二月二十三日、出雲一の宮、出雲大社で巡拝を完拝することができました。

 こうして私は完拝はしましたが、これからもまだできるだけ神社を回ろうとしています。そして、日本全国でたくさんの方々にお世話になった恩返しをすべく、一の宮巡拝会の山陰地方の世話人になつています。 私は一の宮巡拝を通して一味違う日本を体験してきています。もちろん一の宮の中で観光名所(出雲大社、厳島神社、鶴岡八幡宮など)もあれば、そうでないところもたくさんあります。いずれの地も私は「観光」という気持ちではなく、「巡拝」という気持ちで回ってきました。ちょっと変わった観点から私が感じてきた日本は、他の人のそれと違うと思います。

 それではいったい私は何を得たと言えるでしょうか?答えは自分が作った目標を最初から最後までやり遂げた誇りということです。今までの自分はしっかりしないところがあって、何かを始めてはすぐに諦めることが多かったのですが、一の宮巡拝をきっかけにそういう自分を直していくことができましました。

巡拝から得たもの
 一の宮を巡れば巡るほど、私は日本文化の奥深さを知ることができて、もっともっと興味を持つようになりました。そして巡拝中に近くの伝統文化のある場所にもできるだけ訪れました。一つのことに絞らないで、できるだけ日本のことを多く勉強したい、そして次その場所にいつ行けるか分からないので、この機会を多く生かしたいと思いました。例えば、山形県にある出羽一の宮、大物忌(おおものいみ)神社に参拝し、そのまま秋田県の竿灯祭りに行ったり、出羽三山を登ったりしたのです。

 このようにしながら私は、日本の地理を学び全都道府県の名前と位置を知りました。しかし、巡拝をしなかったら、全都道府県に足を踏み入れることはできなかったでしょう。また壱岐、対馬、淡路、佐渡の存在も知らなかったでしょう。例えば、長崎県の名前を知っていても、巡拝をしなかったら、壱岐と対馬に行くこともなく、その名前も知ることはなかったで
しよう。 その上、ちょっとした知識を得ることもできました。地名や線路の名前の由来は昔の「国」の名前と深い関わりがあります。例えば、なせ千葉県の南が房総半島と言われているのか?千葉県は昔、安房の国と上総の国だったからです。また西武線や東武線の名前は、昔の武蔵の国から来ています。これは日本人にとっては常識かも知れませんが、私が一の宮と出会わなかったら、この「常識」も持たなかったでしょう。
 人々に一の宮巡拝の話をすると「どこが一番よかったですか?」とよく聞かれます。これほど難しい質問はありません。なせならば、一力所−力所にはそれぞれの印象や思いがあり、その上一力所だけでなく巡拝そのものが目的であったので、「一番よかった」神社を選ぶことは不可能です。一回一回の旅の思い出、境内に入ると得る精神的な癒し、巡拝を通して知り合った方々、あちらこちらでお世話になった宮司さん…それなりの良さはどこの一の宮にもあるのです。

 私にとって「一の宮巡拝」とは何でしょうか?振り返ると「必然」という言葉が思い浮かびます。一つ一つの出来事に「偶然」や「たまたま」という言葉をつけることはできなくはないけれど、私としてはこんなに重なっている出来事を「必然」としか言いようがありません。また「必要」とも言えます。一の宮巡拝に「必要」を感じなかったら、巡拝はしなかったでしょう。私にとって経験すべきことをし、学ぶべきことを学び、また治すべきことを治す…そういう必要がありました。 私は、これからも今までの人生で最高の出来事である、一の宮巡拝を大事にして生活していきたいと考えております。    (島根県・出雲市在住)(完)