平成13年7月10日 −の宮巡拝 第9号
御朱印について 奈良市 佐伯 洋 一の宮の参拝を始めて三年余で、全国の一の宮参拝を完了いたしました。太古からの清浄な神域を訪れて、家族の健康を祈ってまいりました。また、新年には必ず近辺に三社ある一の宮へのお参りを年頭の努めとしこの年頭三社初詣でも三十余年つづけて参りました。参拝に当たり、朱印を受領してまいりましたので、表装を致したく思います。その仕方を、ご教示下さい。 |
定年時代で一の宮 東京都大田区 金子幸雄 一の宮の記事を読んで懐かしく思いました。昭和四十三年八月、隠岐に旅行した時、初めて一宮水若酢神社・由良比女神社に参詣しましたのが巡拝の始まりです。 最終、長門国−の宮住吉神社・玉祖神社は、オイルショックなどで、昭和五十四年五月までかかってしまいました。私と一緒に各地を巡った友人も熱心で、橘三喜の 『一宮宮巡詣記』 のコピーまでとり、私も頂戴しました。 今から考えましても、一番大変なのは離島だった様に思えます。佐渡・壱岐・対馬・大三島・淡路、今は橋のある所もありますが、私が山陽の吉備路を巡った頃は、まだ新幹線が建設中でした。 日本七十余州の一の宮を参るには、せまい国土といいながら、巡りおえるのは、暇と費用がばかになりません。このテーマで多くの方々が巡拝なさる様になれば、と思っています。 |
書籍紹介 「日本」とは何か 網野善彦著 日本の歴史00 講談社 昔から、道に迷ったら原点に還えってから再出発するのが早道といわれる。 いま、自然を人間の支配、管理の下に置こうとするこれまでの在り方に、きびしい批判、反省の気運が高まり、それを徹底的に再検討するという。一方、進歩的と称される史観のもつ根本的な問題が表面化し、日本の歴史をあらためて見直す必要性が求められようとしている。 日本という国号 (国の名前)がいつ定まったかについて聞かれても、答えられる人は少ない。 今では国号については一言も教えられていない。 いわば、基本的な問題につい知らずに過してきた人が多いことを、この本は指摘してくれている。 「倭国」から「日本国」にいつ決ったのか、これまでの国家観・国民観を検証し直し、漠然と理解していたものへの指針を与えてくれる。教科書の歴史観が、東アジアで問題になっているとき、われわれ自身の歴史を、とらわれない目で、いろいろな問題を真剣に見直すべき時に立っている。日本の原点に還ることは、未来を開く出発点である。(刊行記念特別定価干五百円) |
巡拝会報第七号 所沢市 角山 素天 『全国一の宮巡拝」第七号を、見て、今回の企画に一驚いたしました。これほど綿密懇切、丁寧な案内記がいずこにあるでしょうか?。正に神様がつくったとしか思えません。これによって、一の宮巡拝が飛躍的に伸びることと思います。 |
休暇村と一の宮 川崎市 多田 峰夫 「全国一の宮巡拝の旅」の旅程の中に、休暇村の加太・富士・館山・妙義・那須・能登千里浜・五色台を網羅していただ き感謝します。 世の中が落ち着き、人々が精神的な支えを必要とし始めましたこの時節、正に時宜を得たものと、今後の発展を願います。 |
「神域に遊ぶ」 東京都・西野 直 小さい頃、神社はぽくの遊び場だった。 夏の日。欅の大木で脱皮した蝉の抜け殻を掌一杯に集めた。隊列の中の一びきの、一番の働き者の蟻を何十メートルも追いかけた。お社へ続く踏み石でケンケンパーしたり、境内の薄暗い板木の廊下にほてった肌を押しあてて、うとうとしたり。夕方、ブランコに揺られながら、幼稚園児の二人(ぽくとあたし)が愛について語り合った。すべてを受け入れてくれた神の住む空間は、こども心にとても居心地のいい場所だった。 遊びながら、当時入院中の母親に会いたいと、ひとりべそをかいた。「いい子でいるから元気になって」と、自らに誓い、願をかけた。すべてを無垢にする神の住む空間で、こどもの心に「神」が宿った。 三十五歳の年の暮れ。「全国一の宮御朱印帳』 を手にした。最初に訪れたのは、雪が広い境内を真白におおいつくした新一の宮・北海道神宮だった。次に訪れる機会に恵まれたのは、大隅国一の宮・鹿児島神宮であった。自的(あて)はない。何を拝むという気概もない。しかし、神の住む空間でぼくは、ぽくの心は遊んでいた。 心療内科を標榜するソデ看板が都会のビルに乱立する昨今。向精神薬が犯罪を導いた、と謳う週刊誌の中吊り広告。さてさて、全国には104もの一の宮があるという。神域を訪れるのは、神域に遊ぶため、としか言いようのないぽくが、出張の合間をぬって、御朱印帳を手に一の宮を巡る。 きっとすべては回りはしないが。 |