21世紀の初詣でから   一の宮巡拝を始めよう
 太古から継承されてきた溝浄な地
 二十一世紀の展望がさまざまに述べられてはいるが、結局、21世紀末からの不安感と不透明感を引きずって新年を迎えた。 家内安全、健康といった、ささやかな願いから、買気の回復の祈りに至るまで社寺に参拝に、総人口の半数に匹敵するほどの民が初詣でに訪れている。ことに新世紀を迎えて、日頃信仰心のない人でも新年の一新を願うことから、多くの巡拝が訪れた。

 神仏に手を合わせて祈る行為は人の無意識の中に存在するもので、DNAに刷り込まれている。それは日本ばかりでなく、全世界の人々が聖なるものに祈りを捧げている姿からも知れる。

 誰しもが幸福になりたいと思う。その手段として欲望がでるのは当然のことであるが、お賽銭の何百倍のお願いをしているのも人間らしい。人には、それぞれ罪や穢れをもっている。 

 太古より神様の鎮まる聖域に進むにあたり、人々は禊祓いをして、先ず神様から身を清浄にしてもらつてから参拝した。そして身を生まれ落ちた時のように素直に神様に感謝した。

 神社を参拝するとき二礼、二拍手、一礼という作法がある。一礼で身体の気を吐く、次の一礼で神様の気を戴くため息を吸う。そして神様に感謝の拍手をし、礼をする。これで神様の気が、身体に充電されたのである。

 ほかに願うことはない。十万馬力、鉄腕アトムのようになったのだ。それから諸国の一の宮を巡拝し、御朱印帳に神印をいただけばこれ以上願うことはない。初詣から巡拝の旅を魂に誓って下さい。


                  木思石話
     

 平成十三年辛巳(かのとみ)二十一世紀になり、新しい世紀を迎えた気分に浸っている
二十一世紀は西暦の紀元に対する呼称で、五三〇年ごろシリアのディオニシウス・工クシグスがキリストの誕生を推算し、西暦元年とした。しかし、この推算は誤りで、実際の誕生は前四年とされる西暦は八世紀末の力−ル大帝の時代から普及し、西洋文明とともに、全世界で共用するようになった日本は大化元年(六四五年) から元号を用い、今日まで継承している。また、日本書紀は神武天皇即位の年を紀元元年とし、今年は皇紀二六六一年(平成13年"01)にあたる。それぞれの地域には、それぞれの文化があり、伝統がある地球的情報化時代になり、国の垣根が低くなったが、共通する面が拡がると共に、個々の文化を尊重する時代が二十l世紀である▼なんでも新しくしてきたようにみえる日本であるが、古来の神社も年号も、しつかりと継承して来た誇りを感じる。