一番はじめは一の宮
一の宮巡拝運動は原点    日本人の心と魂の発見

一番
はじめは一の宮 二番、日光東照宮 三番、佐倉の宗五郎 四番、信濃の善光寺 五番、出雲の大社(おおやしろ)

六番、村々の鎮守さま 七番、成田の不動さま 八番、八幡の八幡さま 九番、高野の弘法さん 十番、東京二重橋

 
この歌は、手毬歌や子守歌で、よき時代の日本が偲ばれる。この歌を知っている人も、聞かされた人も郷愁をもっている。 一番はじめは一の宮で、始まる 「一の宮」 に対して、日本人は何か共感を覚える。「一の宮巡拝」に、抵抗なく入って行けるのは、遠く記憶されていたものが呼びもどされるので−のろう。

 昨年末、京都清水寺の舞台で、「末」 の字が揮毫された。西暦一九九九年から二〇〇〇年を越えるのに、世界中が大騒ぎをした。近代文明はかくも不安定なものであることを改めて証明されたものである。 平成になって、バブル崩壊以来、不景気はもとより、六十年先の膨大な借金をかかえた日本の不安材料は尽きない。

 四国八十八カ所巡礼がNHKでも放映されるほどブームになっている。讃岐国一の宮田村神社は八十三番札所一宮寺、土佐国一の宮土佐神社は三十番安楽寺と隣あっているが、団体の巡礼者は、社前を素通して行く。一の宮巡拝者も、聖なる場所には神仏問わず参拝する心がけがなくては、神様に申し訳がたたない。


木思石話
 房州に住んで、その海岸で釣りしている人が、昨今、海が得体の知れぬものによって最終が感じられるという▼約十年前からテトラポットや岸壁にびっしり付着していたムラサキイガイやカキなどが、年を追うごとく激しく剥落していき、五年前には希少となり、三年前にはほとんど姿を消してしまった▼当然それらの貝の群に寄生しているゴカイなどの微小動物も姿を消してしまい、ムラサキイガイやそれに寄生する海草の類を食べに来たクロダイやメジナといった魚も寄りつかなくなる▼この現象は東京湾ばかりではなく、四国も九州も沖縄の海に起き、果ては世界の海に共通する▼どこの漁師も十年前の海はよかったという▼九十年代になって地球環境問題がクローズアツフされはじめたが、ここl、二年、私たちの周辺で劇的な形で、その症候が現れている▼昨今の世相の危険とともに海をはじめ自然現象が死のうとしている▼それにも気づかずに、精神的景観を保ってきた古代からの神域も侵すことを平気で行っている。