平成16年10月1日          −の宮巡拝          会報第22号
       ノモンハン事変65周年
 
壱岐園ルネッサンスのポスターの原画(長岡秀星氏作)を感謝の表意とし、ガンタン寺へ奉納品として持参しました。 ところでモンゴル航空の出発は三時間遅れで夕方ウランバートルの空清到着予定が大幅に遅れました。しかし、VIP待遇で入管手続きも簡単に済まし、VIPロビーでは旭鷲山と偶然に出会い握手を交わすなど、モンゴル到着を実感しました。また、カラコラム大学教授根岸健一先生のお出迎えを受け、一同オチルゲスト八ウスヘ向いました。途中の国会議事堂前の広場に面したメインストリートには八月二十八日のガンタン寺での鎮魂祭の大きな看板が目に入りました。看板には入江世話人代表、東山大阿闇梨、川原僧侶と昨年の壱岐の敵味方鎮魂祭の写真が掲載されていて、一同思わず笑みがもれました。

 二十六日早朝から根岸先生の計らいでモンゴル国会議事堂を訪問して、国会議員のオユン副議長に面会。その後ガンタン寺を訪問して、八ンバラマ・チョイジャムツ管長とモンゴル日本関係促進会長ドウマーギン・ソドムノ(元首相)に面会。通訳は前駐日大便フレール・パータル氏等が我々の訪問を快く迎えてくれました。また、秀星氏作の原画贈呈など親しい雰囲気で話し合いました。


           旧都カラコルムへ      

 
午後から約四百キロ、かってのモンコル帝国の首都カラコルムヘジーフで出発。大草原と、真直ぐにのびた一本道は雄大そのものですが、穴ぽこだらけの路面と途中道路の補修で走行ができず、やむなくオフロードを飛ばしても八時間の行程で、かなり八−ドでした。その夜はモンゴル名物のゲルにて宿泊。

 二十七日早朝はカラコルムの町と工ルデ二・ゾー及びラブラン寺を見学。その後は乗馬など楽しみました。午後はカラコルム大学を訪問。今回は入江世話人代表がカラコルム大学の客員教授に就任され、日本語を学ぶ学生を前にスピーチと初めての講議をされました。昼食は我々一同とカラコルム大学総長と学生による会食など和やかに交歓パーティが行われました。午後四時ごろウランバートルに向けて出発。ゲスト八ウス到着は夜中の○時過ぎでした。


          厳かに敵味方鎮魂修法
 
二十八日はいよいよ敵味方鎮魂祭です。東山大阿闇梨と川原僧侶はそれぞれ正装されてガンタン寺特設祭壇へ。 モンゴル国フレール・パトータン氏の司会・挨拶の後、入江世話人代表の挨拶、日本側の読経、続いてモンコル側の読経が始まり約一時問、ゴミ沙漠に読経のバイブレーションが流れました。参詣に集まった多くの人達は静粛に聞き入り、お布施をそれぞれの僧侶の前に差出し、暑い信仰がうかがわれました。その間、モンゴルのテレビ局や各新聞社の取材に入江世話人代表は大忙しでした。
 夕食のディナーはガンタン寺の迎賓館(特設ゲル)においてウェルカムパーティが催され、馬頭琴やホーミンなどモンコル料理を一同堪能しました。

 二十九日はガンタン寺を再度訪問して、副管長と仏教大学々長のご案内で参詣いたしました。ガンタン寺の高さ二十五メートルの観音像は有名で見事なお姿でございます。また、子供僧の読経が爽やかに聞こえました。
 午後は根岸先生が支援活動されている孤児園に向い、彼らと一時過ごしました。彼らの欲しいものをフレゼントし、特に自転車は子供達に大変喜ばれました。お返しに子供違から日本の歌「ふるさと」とモンコルの歌を合唱してもらい、彼らの特技も披露してくれました。彼らの笑顔と輝く目を見つめて、我々は感動で言葉もありませんでした。

 つづいて日本人墓地へ行き供養を行いましたが、近くの一七六五年創建のタンブルジャ寺では第二次世界大戦でソ連に捕虜になって、この地で強制労働を強いられて亡くなった日本兵の供養を五年前からしていただいていたそうです。九十四歳になるタシェレンチ工ン住職が我々の訪問を大変喜んで手厚くもてなしていただきました。

 その夜は、我々による韓国料理店でフェアウ工ルパーティを開催。ガンタン寺の若い僧侶をはじめ関係者六十人以上が集い盛大に催されました。 入江世話人代表の『□−マ法王や世界の宗教家や識者による世界平和祈願は、数多く全世界で行われているが、一向に平和は見えてこない。お釈迦様の言われた怨みは、怨みによって決して静まるものではない。怨みは怨みなくしてこそ静まる、という言葉を強く思い出します。戦争で亡くなった霊魂は、敵も味方も顧みられることなくその地に留まっています。今回のノモン八ン事件・八ル八河戦争敵味方鎮魂地球平和祈願は大きな意味がありました。』の挨拶はモンゴルの人達にも感動をもって今回の趣旨は受け入れました。終始なごやかに時間が流れ、最後の締はフレール・パトータン氏と関口が日本式の三・三・七拍子の手打ちを全員で行い、締めました。三十日の午前中はウランバードル中央市場の見学、六時間遅れの便で成田に帰国。帰りの便は三十一日の朝青龍の日本での結婚式があるのでしょうか、馬頭琴の一団なども一緒に乗り込み、会席満員でした。

             木思石話

 遠い昔、アフリ力大陸ナイル河の源流の台地に発生した人類は、永い永い歳月をへて、地球の五大陸へ住みついたといわれているが、まさに人間は移動の歴史から始まった▼肥沃なナイル河畔は五干年・三干年以前のピラミット遺跡を残し、『出エジプト記』の四十万のユダヤ人奴隷は、モーゼに率いられ、シナイ半島で四十年の修行、有名な山上の垂訓「十戒」で世界各地に散り、今日の文明を支配し、その代表がアメリカ▼二○○一年9.11 同時多発テロ事件は三年を迎え、断固テロ撲滅を各国が宣言するが、ますますテロは拡大するばかり、平和とは遠い不安な情勢と、国々の治安は悪化の傾向にある▼アメリ力の影は奴隷制と先住民の圧迫、インディアンと呼ばれていた先住民の土地を奪い虐殺、追放したのが西部劇。これはまったくの嘘であり、最近、反省してネティブアメリカンと呼ぶようになったが大量に殺害し、死した怨霊は大地に捨て置かれたままである▼「敵味方鎮魂地球平和祈願」を元冠の役から始まり、豊臣秀吉の朝鮮出兵、ノモン八ン事件、織田信長の伊勢攻め・伊賀の乱、さらにはエジプト、アメリ力浄化の旅へと、全国一の宮巡拝会に何か大きな課題と思って精進のみ。

 文禄慶長の役・壬申倭乱 韓国大本山奉先寺で実現した 敵味方鎮魂地球平和祈願

籍紹介 大祓(おおはらい) 智恵のことば 葉室頼昭著
 「大祓詞というのは、これを唱えればすべての罪・穢れが祓われるというので、ずっと昔から唱えられてきました。 この大祓の言葉は、日本で最も古い祝詞がいくつかある、その中のひとつですが、この祝詞だけがいまだにずっと唱え続けられ、全国の神社で毎日唱えられています。」と、はじめにのべている。大祓祝詞は『延喜式巻八(神祇八祝詞)」に納められている六月晦(むなづきつもごり)大祓 (十二月(しはす)は之に准へ)である。 全国の神社で毎日唱えているが、中には廷喜式にあるものを何行が省略したものもある。 大祓の言葉の解釈された本は数多くあるが、祝詞はパイブノレーションであるから、自分で唱えなければ分からないし、体で唱えるものなので、理屈で説明することができないものなのであるが、著者の医学的理由と説明されているので何となく分かる。著者は「毎日毎日、理屈を考えないで大祓詞を唱え続けていますが、そうすると何か頭から理屈が抜けていくような感じがしてきます。自然の智恵というか、神さまの智恵というのが、何かどんどん頭の中に感じられ、体の中に入ってくると、自然と神さま有難うございますが実感します。」とあるが、諸国一の宮巡拝も巡拝を重ねているうち同様のことが起る。 本書には平成十五年の春日若宮御出現一千年祭のとき、「千度祓い」ということで神職が大祓を奏上され、その録音がCDとして付いている。  (春秋社一八〇〇円税別)