平成16年9用20日

               文禄慶長の役・壬辰倭乱敵味方鎮魂地球平和祈願

  参列して「見えない世界」からの受信
          全国−の宮巡拝会世話人代表 入江孝一郎                    
 この度の大韓仏教曹渓宗大本山奉先寺(ほうせんじ)・李方子(りまさこ)妃殿下御陵(英陵・金谷陵)で、四百余年の歳月をへた平成16年(2004年)9月17日に、「文禄慶長の役・壬辰倭乱敵味方鎮魂地球平和祈願大法要」が始めて日韓の垣根を越えて韓国で行われました。
                               
 このことを思わせられたのは平成15年(2003年)2月29日、元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願を行うことで、高野山蓮花院東山住職を訪れたときです。元冠の役は侵攻を受けた側でしたが、豊臣秀吉の朝鮮出兵は侵攻した側です。このときの敵味方鎮魂をしたいと話題になりました。心の底でどう切り口を探せばいいのか大きな課題として残りました。

 文禄慶長の役・壬辰倭乱より日本が近代国家を目指し欧米の植民地主義を目標としたとき、さらに深刻な事態をまねきました。韓国の人々に物心両面で怨みが重なり、深刻な状態を生みました。「敵味方鎮魂」は、先ず日本が謝まれと当然のことに言われます。東京にある韓国の寺も最初はこの気持が強かったのですが、お寺の行事に参列し、住職とお話しているうちに少し理解され、この趣意を八ンクルに訳したものを国の本寺に伝える気持に変りました。

 「敵味方鎮魂」は韓国の人が理解して呼びかけないと先に進みません。故中村元博士の東方学院で、十年以上から顔見知りであった釈悟震(しやくごしん)先生と話す機会がありました。中村元先生には社団法人日本移動教室協会理事をお願いし、後を前田専学先生に引継いでいただきました関係で、この事を心配されて釈悟震先生に相談されました。誰かが怨みを静める「敵味方鎮魂」をしなければ問題はいつまでも解決しません。
                       
 釈悟震先生の古い、友人である大本山奉先寺研修院長無着(むちやく)禅師と連絡して実現に向いしました。表は人力ですが、深い見えない世界、神仏のお力を感じます。その当日は、「韓日・日韓共同、壬辰倭乱・文禄・慶長役 犠牲者鎮魂地球平和祈願法会」 の大きな垂れ幕が奉先寺の周囲に何本も飾られて恩讐を越える形で示されました。通訳を姜(かん)叡那女史によってはじまり、奉先寺祖室月雲大禅師の鎮魂法話から鎮魂法要へ、月雲大禅師・住職蜜転大宗師、日本側高野山蓮花院東山泰清大阿闇梨・熊本玉名市蓮華院誕生寺川原光裕副住職による韓国語・日本語の読経が力強いパイプレションが四百余年、捨て置かれた霊魂の怨みを解消する仏の波動となり響きわたり積年の垣根が消え、神仏への感謝の合掌になりました。さらに奉先寺合唱団の「鎮魂の歌」がこの日のため歌われました。

 見えない世界に日韓の魂が開かれ和やかな「気」が奉先寺本尊様から渦となって当りを包み、地球へと発信されました。参列の方々は、それを「体」に感じられたと思います。神様・仏様のもとに行って感謝をされることが、神仏は最もお喜びになられます。世界三大宗教は聖地巡礼が基本であり、「体」を運んで祈ることにあります。諸国一の宮巡拝も、一人一人の自分の意志で、無心で巡拝することです。法要の後、奉先寺食堂で和やかな直会(なおらい)も用意され、これがとても美味しいものでした。

 次ぎは15時から李方子妃殿下(まさこひでんか)御陵前での「敵味方鎮魂地球平和祈願」です。奉先寺住職をはじめとするご案内で向いました。平成7年(1995年)5月10日、ここで行われた儒教による英園大祭に参列しました。李王朝は朝鮮出兵のときの相手であり、鎮魂をする縁が生じていたのか、実現しました。昭和48年(1973年)8月3日ソウルの宮園で李方子妃殿下と面会し、お茶をご馳走になった経験があります。その後、李球玖(りきゆう)殿下と東京でお会し、さらに縁を感じています。李方子妃殿下は、悲劇の王妃といわれた方で、戦前・戦後、日韓の掛橋となられ数々の本になって紹介されています。妃殿下は佐賀鍋島藩の出で拉致第一号というべき陶工李参平を連れ帰り、有田焼の基礎になりました。

 今回の実現について姜叡那女史が大変ご尽力して下さいました。すべてが神仏のお導きによっているものですが凡人にはそれが見えません。八十一年間も生きてきて振返ると、「ブッダのことば」の「縁によって生じる」によっていることが解ります。「怨みは怨みによって静まらない」ということもそうですが「人が、これはわがものであると考える物=それは(その人の)死によって失われる。わがものという観念に向ってはならない。」と言ぅことばは、なかなか実行することはできません。それは人は愚かであるからと説いています。仏教は愚かからの脱出する法であり、この外に数々の責重なことばを残されています。ぜひ、このさいぜひ「フッタのことば」(中村元訳・岩波文庫)をおすすめします。

 欽明(きんめい)天皇13年(552)10月、百済(くだら)聖明王より仏像と経論を日本に献じられて仏教が伝来しました。さらに聖徳太子によって仏教が確立するとともに、神仏習合の時代が江戸時代まで1316年つづきました。神仏習合による日本人の文化・習俗・伝統が育まれたのです。明治になってから136年、この間に生じた怨みによって、1316年間の朝鮮半島との交流や血の流れによる歴史・文化の関係を怨みで失ってはなりません。

 「文禄慶長の役・壬辰倭乱敵味方鎮魂地球平和祈願」は、それを越える第一歩です。壬辰倭乱を収めた徳川将軍家菩提寺蓮花院、加藤清正の肥後熊本から蓮華院誕生寺から、それぞれの因縁を背負って、その消滅を見えない世界から命じられて集まりました。同じ蒙古斑のある日本・韓国・モンコルが「敵味方鎮魂」によって鎮まり、東アジアの平和と道開きの夜明けを迎えたのが、9月17日です。日本から参列できましたのは、百万人から選ばれた人であり、大きな幸運をいただいて、お互い心から喜びたいと存じます。