平成16年11月23日(火)午前10時
天正伊賀の乱敵味方鎮魂・地球平和祈願
                   伊賀国−の宮 敢国神社


 元冠の役の翌年、北条時宗は敵味方供養のために鎌倉に円覚寺建立した。それはフッタ釈尊の「怨みは怨みででは消えない(法句経)」にもある.。それから721年の歳月が流れ、戦跡の壱岐島で「元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願」をモンコル国、日本国の神仏により魂鎮めを行った。目に見えない力を信じない人が多い現代で画期的な出来事であつた。 それが刺激になり、北条氏の後裔になる尾張国の−の宮巡拝会々員横井肇さんが動かされて平成16年3月29日午前10時「北畠・織田敵味方鎮魂・地球平和祈願」が伊勢国水屋神社で実現した。さらに同時刻、伊賀国−の宮敢国神社でも祈願した。

−の宮巡拝会中部フロック世話人大谷武司さんと横井肇さんが、同社を4月4日に参拝した。そのとき、敢国神社太郎館学宮司から同時祈願に共鳴し、「11月23日、天正伊賀の乱敵味方鎮魂地球平和祈願」を行い、伊賀忍法を継ぐ子孫ばかりでなく甲賀忍法、戸隠忍者の子孫にも広く呼びかけ盛大なるものにしたいと、話があった。敵味方鎮魂は、伊勢国から伊賀国へとつづいた。その日は奇しくも北条時宗の命日であった。

 人類の歴史は、過去20世紀まで戦争で殺戮が繰返され、故なく抹消された人々の魂霊が地球に彷徨い、21世紀こ救いを求める切ない願いが「敵味方鎮魂・地球平和祈願」として壱岐国ルネッサンスから始まった。 すべての物質が素粒子からなることまで、今日の科学は到着した。クオーク、ニュートリノ等の素粒子をもとに原子核を形成し、原子、分子に繋がり、結合した物質の中から約30億という遺伝子の実体が解明された。その遺伝子は、スイッチオン、スイッチオフがあることが実験されている。また、留まり宙遊している怨霊、幽子と呼ばれるものの働きがあることも科学的に明らかになろうとしている。神仏の世界・霊魂の世界がようやく科学的に見えたきたのである。

 古代から継承されてきた神道の鎮魂の儀式、先祖神崇敬、仏教の先祖供養は、理屈ではなく日常実行してきたのである。仏教伝来から神仏習合の時代をへて、日本人の文化を形成し根づいてきたのである。明治初年の神仏分離令は、日本の歴史を否定する行為であった。21世紀になって、これを犯してきた誤りを訂正する行動が「敵味方鎮魂地球平和祈願」となった。敵も味方も、その犠牲となり、歴史に記されたまま、忘れられた存在になっている。影の存在であった天正伊賀の乱での忍者に、敵味方鎮魂地球平和祈願のスポットが当たることになった。

 天正伊賀の乱天正9年(1581)9月3日から17日までの15日間、織田信長による天正伊賀の乱は、忍者軍団への虐殺一万人ともいわれ、根絶やしという伊賀国に壊滅的な打撃を与えたのである。それまで伊賀国は、社寺権門の荘園支配という古代的支配形態500年という長い間、「信長の伊賀への侵攻まで続いたのである。伊賀の忍者伊賀の忍者の歴史は古く、聖徳太子に仕えた大伴細人が元祖と伝える。

平安時代には風鬼・火鬼・士鬼・隠形の下忍などを使って反抗した伊賀霧生の千方というものがいたという。盗賊熊坂長範は名張市の生まれ、源義経に仕えた伊勢三郎義盛の前身は盗賊で上野市の生まれである。平知盛の家来となった服部家長も上野市の生まれで、伊賀平氏のまともな家臣であり土着の豪族である。服部半蔵はこの系統である。

 伊賀国は「勅不入の地」として治外封建的な独立国のようになり、服部氏を中心とする土豪の勢力はふたたび回復した、服部総家とその分流とみられる百地、藤林などの家に分かれ、さらに鎌倉時代に東大寺の家来として伊賀国にはいった大江氏も土豪化した。南北朝の争乱期には伊買忍者はほとんど南朝側につき楠木正成の配下の伊賀忍者四十八人が属し武功をあげた。正成の妹は伊賀忍者服部家の支家上島家と結婚し、猿楽師観阿弥を生んだ。猿楽師は忍者七方出の変化術のひとつである。

 平安時代から中世にかけて神出鬼没の山賊は鬼とか魔とかの名で呼ばれていた。戦国時代の伊賀国は完全な無領主であるから服部・百地・藤林の三家が対立して相互監視と防衛を怠らなかった。このことが忍法を工夫させ、技術がすすむ結果となった。それと他の有力武将にやとわれ偵察、謀略、奇襲などを行った。服部当主の保長は、京都の足利将軍家に仕えたが、のち徳川家康に仕えた。このため服部家は天正9年(1581)の信長の伊賀攻めにも助かり、かえつて半蔵は翌年家康の伊賀越えをたすけ、江戸での伊賞、甲賀両忍者の頭取となる茎をつくった。

 中世の崩壊 織田信長は、中世から近世への扉を開く役割を与えられ、既存の勢力・規制や常識を破って破壊した。伊勢攻め・伊賀攻め、長島一揆の弾圧と逆殺をした。伊賀攻めでは一万人の忍者・家族を虐殺した。さらに比叡山焼討ち、石山本願寺攻めなど、時代は大きな転換期に多くの犠牲を要求し、多くの屍が積み上げられた。忍者その出来事は歴史の中に記録され、やがて忘れ去られた。その事実は消すことはできない。やがては記録されたままに忘れ去られていく。ことに影として行動してきた忍者は、闇から闇に葬らるが、いま、伊賀国−の宮敢国神社で「天正伊賀の乱敵味方鎮魂地球平和祈願」として、日が当たることになったのである。

 記

日時 
平成16年(2004)11用23日(勤労感謝の日)11時11時半

場所 
伊賀国−の宮敢国神社

祭典 
「天正伊賀の乱敵味方鎮魂地球平和祈願」