平成17年11月1日 −の宮巡拝 会報第26号
全国一の宮会(神社組織)について 全国の一の宮は、平成三年十月八日、全国一の宮と称される神社中七十社の賛同をへ得て発足したものです。(現事務局、大和国一の宮大神神社)一の宮は、「廷喜神名式」制定のあと、社格を中心として、自ずとその国の最も由緒ある神社が選ばれたといわれています。F全国一の宮会』は、これら古い由緒を持つ神社、地域の信仰の柱となっている神社を中心に、敬神生活の高揚を目的として発足しました。 元禄時代の橘三喜の「一の宮巡拝記」は一六七五年から一六九七年の二十余年の歳月をかけ、七度にわたって全国を旅し、一の宮をはじめとした諸社寺に参拝した記録ですが、これをきっかけに庶民の間でも一の宮参拝が広がって、多くの方が巡拝されました。平成の時代を迎え、神社は自然保護や環境問題の高まりとともに、日本人の精神のふるさと、文化の源流として、あらためて脚光をあびて来ております。是非とも参拝されることをお勧めし、記念の一ページをつくっていただくよう期待しております。 (全国一の営めぐりより) |
一の宮のいわれ 平安時代から中世にかけて行われた一種の社格。一の宮は、おそらく平安時代初期にその実が備わり、同中期から鎌倉時代初期までに逐次整った制と考えられています。それは朝廷または国司が特に指定したのではなく、諸国において由緒の深い神社、または信仰の篤い神社が勢力を有するに至って、おのずから神社の階級的序列が生じ、その首位にあるものが一宮とされ、奉幣などに優先的地位を占めることが公認されるに至ったもののようです。「延喜式】(十世紀)には、一宮の名こそみえませんが、祭祀・神階などの点で、他社にまさって有力な神社とされるものが明らかにみられますので、それら最上位のものが一宮とされ、以下二宮、三宮、四宮などの順位を付けたのです。時代の変遷とともに変化もあったようで、一国内で二社以上に一宮が存在するのはそのためです。 なお、一宮の称は一国についてだけでなく、一郷の、また一社内各神殿での一宮、二宮などという称も行われました。(参考・国史大辞典) |
諸国一宮巡拝雑感 全国一の宮巡拝会 顧問 生谷陽之助 |