刊行を祝して 宗教学者 山折哲雄 日本における霊場巡拝のあり方には、独特のものがありました。たとえば、西国三十三観音霊場巡りや四国八十八札所巡り、そして神道におけるーの宮巡拝」の姿をみればわかりますように、われわれの巡礼行動は、はじめから円環運動にもとづいて成り立っていました。 西国霊場や四国霊場の場合は、寺々を巡り歩くものと理解されていますが、しかしもともとは寺から寺へのルートをたどる途中、野のなか森のなかに祀られている名もない神々の祠にも敬虞な祈りを捧げながら歩く、というものでした。 また、神々への巡礼ということになれば、むろん誰でもしっているお伊勢詣りをあげなければなりません。伊勢神宮とそれをめぐる神々へのルートは、全国の各地から多くの巡礼者を集める中心的な霊場でした。西国霊場や四国霊場への巡礼路がホトケの道であったとすれば、この伊勢神宮への参詣や一の宮巡拝の道はカミの道を代表するものだったといえるでしょう。 それだけではありません。日本列島の各地からやってくる巡礼者たちが、いま述べたホトケの道からカミの道へと相互に乗り入れる巡礼行動を自然につくりあげていたということにも注目しなければなりません。 伊勢参宮や一の宮巡拝からさらに熊野詣での世界に入っていく人びとの流れができ、そこからまた西国霊場へと足をのばしていく人びとの流れがつづく、という状況だったと思うのです。 一方、お伊勢詣りと善光寺参詣の旅をセットにして巡り歩くルートも開発されていきました。一の巡拝の方式も、そのような動きのなかで新たに生みだされるようになったのではないでしょうか。小さな巡礼の円運動がしだいにラセン形を描いて大きな円運動へとつらなっていく、その重層的な巡礼の円運動のなかに、日本人の豊かで柔軟な信仰心が育まれていったのではないかと思うのです。 |
小説『橘三喜』発刊お祝い |