泉を打ち砕くためにこそ、たとえぱ絶対君主制のような権力が必要だったのであり、一神教のような超越的な権威が重要な役割を演ずるようになったのだ、というわけである。近代民主制と一神教の相互関連、という問題である。おそらくその通りであろうと思うのであるが、ただ、もしもそうであるとすると、一神教を知らなかった日本列島の政治システムの現状と将来はいったいどうなるのかというのが、今日の「政権交代」劇を前にしていても、いぜんとして心を去らない疑問なのである。

神仏共存が平和社会生むここで話は、いきおい歴史の回顧へとむかうことになるが、わが国では平安時代の390年、江戸時代の250年という長期にわたる「平和」の時代があったことにご注意いただきたい。このようなことは西欧の歴史においてはもとより、中国やインドにおいても見出すことができないのである。いったい、一国の政治体制として、どうしてそんな奇跡のようなことが可能になったのか。

その原因はいろいろ考えられるであろうが、細部を省略していえば、その2つの時代においては政治と宗教の間にじつに良好なバランスがとれていたからではないかと私は思っているのである。国家と宗教の相性が良かったからだ、といってもいい。そしてそのことを深い文脈において可能にしたのが、神仏共存の宗教システム、すなわち神(カミ)の領域と仏(ホトケ)の領域をすみ分ける多神教的なシステムだったのではないだろうか。いってみれば、多神教飽な工iトスが酵母となって、政治や社会の安定に寄与していたのではないかということだ。

ただ、困難な問題がまさにそこから発生するはずである。なぜなら、そのように一神教を知らないわが国の政治が、はたして西欧型の民主制を真に受肉することができるのかという疑問がおこるからである。この年末、「仕分け」のドラマが一時休戦状態に入っているなかで、あらためて考えてみたい事柄である。(やまおりてつお)2009.12.21


山河有情    前検事総長 但木敬一(産経新聞H21.12.22)

日本人の心が地球を救う

今年は11年ぶりに表参道のイルミネーションが復活して話題を呼んだ。北海道から九州までさまざまな場所でたくさんのクリスマスツリーが飾られている。この季節になると日本人の独特の宗教観について考えてみたくなる。

ここに面自い統計がある。「全国社寺教会等宗教団体・教師・信者数」という文部科学省の平成18年12月現在の公式統計である。その信者数の欄を見ると、神道系1億681万7669人、仏教系8917万7了69人、キリスト教系303万2239人、諸教系981万7752人で、その総計は実に2億884万5429人となっている。1桁の単位まで細かく計上されているが、人口をはるかに超える不可解極まりない信者数となっている。

神道系の信者が1億人以上というところをみると、氏子はもちろん、神社に詣でてか柏手を打てば信者ということになるのかもしれない。仏教徒約9千万というのも、説話会に通う人の数とは思えないので、少なくとも檀徒であれぱ信者として数えられているのであろう。ことほど左様に多くの日本人の特定の宗教への傾斜度は低い。

明後日はクリスマスイブである。かなりたくさんの家庭でケーキが食卓を飾り、夜サンタクロースがやってくる。街々はクリスマスを多彩な照明とクリスマスソングで祝う。31日は寺々で除夜の鐘が響き渡り、108の煩悩が消えてゆく。明けて元旦、老若男女こぞって神社に初参りをする。われわれはあまり違和感を覚えることなく、わずか1週間くらいの間に、キリスト教、仏教、神道の間を渡り歩くこととなる。

唯一神を信仰する人々にとって八百万の神々をもつ日本人の宗教心は理解しがたい。幕末(1865年)日本を訪れたシュリーマンは大変な日本びいきであったが、見せ物小屋などでにぎわう浅草観音を歩きながら、こうつぶやく。

日本の宗教について、これまで観察したことから、私は、民衆の生活の中に真の宗教心は浸透しておらず、また上流階級は懐疑的であるという確信を得た。現代もその状況はあまり変わっていないのではあるまいか。司馬遼太郎の表現を借りれぱ、日本は民衆個々人が骨の髄まで思想化されるということがなく、一つの思想に染め上げられた経験を持たない稀有な国というべきなのかもしれない。

こうした国民性は、現代社会に日本人の心が地球を救う生きるのに、プラスなのであろうか。終身雇用制が大いに揺らぎ、大量の失業者あるいは半失業者を生み出しつつある現在、働くことが生きることである日本人にとって精神的に非常に不安定な時代を迎えつつある。宗教はアヘンであるとマルクスは言ったが、宗教の力を借りずにどう不安感と戦えるのか。

やはり日本人には職があることがもっとも効果的な精神安定剤である。雇用を創出する経済システムの再構築のためには求心力ある政治の力が必要となろう。今や人類の存亡は地球環境の劣化を食い止められるかどうかにかかっている。ことはグローバルにしか解決不能である。すべての宗教に心底寛容である日本人の心、自然と戦うのではなく、自然をあがめ、これとともに生きてゆこうとしてきた日本人の心は、世界の懸け橋となって、地球を救う大いなる力となりえる可能性を秘めている。(ただきけいいち)