会報第19号から
               椿大神社                 
実感された一の宮百万人巡拝
                                            
全国の一の宮巡拝の会世話人代表 入江 孝一郎
五年の歳月が流れる・・・・
 完成した『全国一の宮御朱印帳』を平成十年十一月二十二日、全国一の宮会事務局のある伊勢国一の宮椿大神社社務所に納めてから五年の歳月が流れた。 御神前に山本行隆宮司が大祓祝詞を奏上し、全国一の宮巡拝百万人達成祈願の第一番大きな御礼が授与された。宮司から御朱印帳に揮亳していただき、椿大神社より全国一の宮巡拝の旅に出た。それから一年少しで完拝した。

 虚心で参拝していくうちに神域で自然と己がなくなっていくのを感じた。神様に生かされていることの実感は、巡拝を重ねないと解らないのではなかろうか。とにかく神様によって生かされている。唯、唯、神様へ感謝の気持が湧いてくる。一の宮の御朱印は記録ではなく、神様の依代とし感じられてきた。自分が脱皮していった証である。『全国一の宮御朱印帳』は子孫に伝えても誇りあるものであることに気づき、自然と神棚にお祀りして、朝夕参拝するようになった。

 天つ神、国つ神、八百万神がお護り下さることへの感謝は、神様の「気」を常にいただき、元気でいられる。元気の素は、神域で神様からいただけることを体で知った。一年余の旅の連続であったが、常に何か充実感が湧いてくる。せひ全国一の宮巡拝をおすすめする。お金にこだわらず、心配がなくなるから体も元気になる。仏教の「安心」という境地はこのようなものかと思う。

全国一宮巡拝会・・・・
全国一の宮会の会報第三号の編集をしていたとき、百万人巡拝運動ということが浮んできた。山本行隆幹事長に相談すると大賛成をえた。百万人といっても人口の一パーセントである。神様に感謝する人の流れが、動脈のよう活動することで日本の活力はよみがえる。一人一人が立派になることである。自らの意志で一の宮巡拝に挑戦することをすすめる。暇があっても金がない。金があっても暇がないと、言訳する人がいるが、志をもてば神様が助けて下さる。

 巡拝を続けているとき、神様のお導きで自然に、全国一の宮巡拝会が結成されて、会報が出された。一の宮の神様の有難さを多くの人々にお伝えするのが役割であり、巡拝する人の相談やお世話するボランティアの集まりである。年会費三千円、ゼロ予算で繰越金もゼロ、不定分は有志が負担する。会報第七号は、思わせられて百万部印刷して一の宮社頭で配布した。百万人巡拝といっているのであるから、その行為で神様にお示したのである。今は七千人が巡拝をし、全国一の宮会と車の両輪であると、故山本宮司から「しっかりお願いします」と言われたことが耳に残る。
 全国をフロックにし、世話人を募ったところボランティアで引受けて下さる。山陰フロックはアメリカ人キッドさんが引き受け、外国人にも神様の有難さが二十一世紀に広がる象徴と感じられる証しである。すべてに起る現象は、善きも、悪しきも、神々のお導きによったものであることを知らねばならない。
 
敵味方鎮魂地球平和・・・・
 壱岐国一の宮天手長男神社が一の宮であるのに壱岐の人から忘れられた存在になり、しかも原川宮司が一昨年に亡くなり、宮司不在になっていたのを、巡拝会として動いたら、元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願を実施することになり成功した。

 こんどは中部フロックの横井肇会員から三月二十九日に伊勢国水屋神社で北畠異教・織田信長軍敵味方鎮魂地球平和祈願をするという事が準備されていた。歴史にあるが敵味方に対して、一枝の花や線香の一本もあげられていない霊魂に、光をあてることになり、これも神様のお導きと受けとめ御用に全力を尽し、一の宮巡拝とともに大事な使命である。
豊臣秀吉の朝鮮出兵の敵味方鎮魂地球平和祈願をすすめるのも、われわれの使命と考えられるようになってきた。

 全国一の宮巡拝の御神示をうけたと、宗教団体 「豊明の庭」越後憲徳斎主が拙著 『諸国一の宮』 を多くの人にすすめ、約一年問で全国一の宮を完拝された。さらに対馬やモンゴルに行って浄化修法をしたといわれる。期せずして同じ趣旨ではたらきかけていた。今年は工ジフトのナイル川と北米で人類のカルマを浄化せよと神示を受けている。

 われわれの計り知れないところで、不思議に動かされているとしか言いようがない。自衛隊がイラクに派遣、テロも戦争の手段になっているとき、内外ともに危険地域になってしまった。かかるときだからこそ、清浄なる一の宮神域に身をはこび、直き心を養い、内なる実を知ることこそ大事なことである。本年も、どういう御用が待っているのか楽しみに、神様への感謝を高めていきましょう。