トインビー教授と松永安左エ門翁
「平岩外四(人間と文明のゆくえ)日本評論社から」
トインビー教授の大著『歴史の研究』の日本語版は、故松永安左エ門翁の燃えるような闘志と献身的なリーダーシップがなかったら、とても、陽の目をみることはなかっただろうと思います。この翻訳出版事業は、それほど難事業であったのであります。私の大先輩であり師である亡くなられた木川田さんが、この日本語版を出版するために組織された刊行会に、深くかかわっておられたので、私も、その間の事情をよく心得ております。
この名著は、かって、フランスでも翻訳出版を試みられたのでありますが、採算面のこともさることながら、途中で断念せざるを得なくなるほど厖大な著作なのであります。わが国でも、同じような企画が検討されたようでありますが、同じような理由で、これを引きうける出版社はなかったとも聞いております。それを翁は、八十歳という高齢にもかかわらず、ロンドンに教授を訪ねられたとき、日本での翻訳出版を約束されております。
私財を注ぎ込み独力で、この事業を完成する決意をされたのであります。その後、財界や学会からの幅広い応援を得て刊行会が組織され、十八年の歳月と夥しい知的エネルギーを費やして、全二十五巻の出版を完了したことは周知の通りであります。最後のニ巻が刊行されたのは、翁が九十七歳の生涯をとじられた一年後のことでありました。出版を引き受けられた経済往来社下村亮一社長のご努力も大きく評価されます。 松永翁は、”電力の鬼”と言われた方であります。九電力体制を確立し、その発展のために打ち込む、その姿の凄ましさのゆえに、世間がこう呼んだのであります。その翁と世界的に著名な歴史学者トインビー教授との交友は、一見、如何にも奇異に思われます。しかし、私の知る翁は、“電力の鬼”と言うよりは、先見的な事業化であるとともに、独立自尊、生涯在野の姿勢を崩さない厳しい求道者、そして、柔軟な思想を持つ哲学者という感じでありました。
ですから、同じように柔軟な思想の持ち主で、西欧を中心とした文明史観、キリスト教の持つ非寛容性を反省し、異質の文明文化に深い理解を示す教授の考え方に共鳴したとしても、それは当然のことと思うのであります。こうした教授の史観は、シュペングラーの『西洋の没落』に見られるような、第一次大戦後、ヨーロッパに発生したペンミズムから脱却し人類に希望を与える発想と申せましょう。
一方、翁も、第一次大戦後のヨーロッパの状況を、つぶさに視察しておられます。シュペングラーの『西洋の没落』は、原書で読まれ、これはと思われたところには赤線を引いておられたと、伺っております。また、わが国の敗戦後の荒廃と精神的混乱とを、その渦中にあって多面的に観察され、早くから復興再建の構想を胸中に秘めておられたのであります。
電気事業の九電力体制を固め、新しい展開を見届けられたからは「蓄積された富やその富が生む信用だけを富と考える時代は過ぎた。これからはマンパワー開発の時代だ」と申されて、翁は、その晩年の情熱を、専ら、国造りのための人造りに向けられております。電力中央研究所の設立に尽力されたのも、また、政界、財界、学会、官界の代表者数十人を動かして、産業計画会議を発足させたのも、いわば、翁の人造り構想の一環であったと申せましょう。
翁は、トインビー教授をアインシュタイン博士とともに「二十世紀で文明に寄与した最も傑出した人物」と、高く評価しておられます。科学技術進歩の凄ましさにくらべて、人間の精神面の成長の遅れを気遣う、トインビー教授の思想体系とその識見の高さに、翁の求道者として、哲学者としての資質が強く共鳴したのではないかと思います。そしてトインビ−教授の労作が、現代の世界の混迷を解明する有力な手掛かりになるとみて『歴史の研究』の翻訳出版を志され、これからの時代の人造りに、その糧にと考えておられたのではないでしょうか。
松永安左エ門翁年譜・エピソード