平成16年1月1日
−の宮巡拝 会報第19号
巡拝者の声
橘でつながる縁 三重県津市 宮田 紀子 垂仁天皇は田道間守を常世国に遣わして非時香果を求められたと『日本書紀』にあります。こ れが今でいう橘のことです。 私が橘と出合ったのは、平成十三年十二月、明日香の橘寺での事です。濃い緑の中に黄色い、可 愛い実がたくさん実っていました。それをいただきたい思いにかられ数個いただいて帰りまし た。数ケ月後、人を介して苗木を作っている方と出合い、そして私は橘を全国の縁のある場所に植 えたいと思いました。 平成十四年十二月「天橘会」を立ち上げ、賛同して下さる方が集まり、植樹活動をしていま す。だんだんと橘の意味や現状、絶滅危機種であることがわかり、ますます志しを強くしました。 私の友人より『一の宮巡拝会報』をもらい、一の宮巡拝のきっ掛けとなりました。全国一の宮調べ元 祖が「橘≡喜」氏である事も、何か、偶然とは思えぬ縁を感じております。巡拝会のご縁で橘を つないでいただければと存じます。神社・寺院・公共施設に橘の茜木を奉納しております。個人 の方には苗木代五百円からお分けしています。三年から」ハ年ものもあります。ご希望の方、又、種の 採取、育苗、植樹などをお手伝い下さる方はお問い合わせ下さい。 電話 059−228−9073 津市大字垂水2862ー2 |
壱岐国ルネッサンス 松戸市 かなざき ふみこ 九月半ば三日間にわたり開催された「壱岐国ルネッサンス」関係者の方々にはお世話になりま した合計十二回の舞をいろいろな形でご覧いただき、多くの方に楽しんでいただき、感動のお言 葉をたくさん頂戴いたしました。 これは目に見えない力、やり遂げねばならないという必然に助けていただき、人智でおよば なかったことです。損得勘定のない熱意を持った無心の者たちに天から頂いた配剤であると感じ ております。結果として成功に導いてくれたものと信じています。 三日問、十二回の公演に誠心誠意踊りました。その中で最も印象的であったのは、小学校の子 供達と、モンコルの高僧と高野山の鎮魂の読経がすんで、炎天下で三十分、鎮魂の舞、卑弥呼を 舞ったことです。壱岐での経験は「躾と行儀作法の伝承」「宇宙よ、地球よ、ものみな麗しくあれ」の テーマそのものでした。私は壱岐で何を舞ったのか、「かなさきふみこ」の信念の行動と状況を お伝えしました。 金崎ただとし写真展にはせひ足をお運びいただきたく、存じます。 |
会崎ただとし写真展 全国一の宮奉納舞行脚 三月十一日〜二十≡日 南青山フォトギャラリー 一昨年」八月六日の舞始めの日に、伊勢国一の宮椿大神社・椿岸神社御神前に奉納舞をして、 この日から全国一の宮に奉納舞行脚をはじめたのが倭一二三さんである。現在、『かなさき ふ みこ』と名のっている。現在は百に近いlの宮を巡拝奉納舞をした。 実の弟であり、日本写真家協会会員の金崎ただとし氏は、それを追うようにというより、姉 の裏方になったり、写真家として撮りつづけ、まとめて写真展開催となった。 目には見えない力に助けられて、人智のおよばないことを損得勘定のない熱意を持っての無 心な行動、神に捧げる舞の数々である。 これを撮影者の目がどう捉えたか、弟という肉親の感情とカメラマンの眼が、神に向って奉納 舞の姿、神々の問をどう表現できるか、期待される写真展である。 巡拝する仲間として全国一の宮巡拝会会員は、ぜひ足を運んで下さい。 ■場所 地下鉄表参道下車 南青山フォトギャラリAOYAMA 電話03−3409−2084 |
伊勢国水屋神社久保憲一宮司の父上 かっては本当の教師がいた 「教育とは知識の習得ばかりでなく、大切なのは子供、教師、地域住民との心のふれあい、人 間教育でしょう」 と、久保良任さんは三十九年間、山間の飯高町の小学校で教 鞭をとっていた。その間町史編纂や民話の取材、水屋神社宮司をつとめた。 先生の弔辞に教え子が『漆黒の髪を春風に靡かせ”お早う“と声をかけるのが毎朝の光景です。 受験テクニックとは全く無縁、小学校の国語教育には右に出るものはいなかった。生徒を授業に集 中させ、吸引させる気迫と鬼気迫るものを感じたものです。 生徒の目は生き生きと輝き、先生の一挙一動を凝視する。江戸時代の寺子屋教育に似た、正に教育 の理想がここに展開された。先生は読書と作文を二本の軸足に何ら迷うこと無く己の教育理念を 貫徹されたのです。教育は天職といいますが、先生は何と幸な一生を送られたことでしょう。長く続 いた師弟愛、何のご不満も無く冥土に旅立たれたと存じます。』 いま国も教育もこれと違った方向に進んでいる。大事なことは本物の教師であるがいまはいない。 この精神を受け継いだ宮司に、神様の力をえたはたらきに期待する。 |