お肌つるつる、温泉ヌルヌル、タオルはまっかっか!湯冷めなし、薬功抜群・・・白山火山帯に属し、世間が知れば,"日本一"間違いなしの湯ノ本温泉・・・島民は神功皇后の御代よりあらゆる・心身の病を癒してきたという="高峰温泉は有名"・・・温泉でーすばい。一度といわず100度おいでまっせ!・・・きっときっとまた来たくなるでしょう!



湯ノ本出身の画家「坪井(殿川)賀子)さんの湯ノ本湾&お人形さん & 初代警視庁音楽隊長”山口常光先生の生地”

・・・・「八幡さん」として人々に親しまれる応神天皇は、宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮をはじめ、各地の八幡神社にお祀りされている。伝承によれば、第14代仲哀天皇の后・神功皇后は、ご神託を受けて身重のまま新羅(古代朝鮮の王国)に赴き、この地で戦いを交えた後、筑紫(九州北部)に戻られて応神天皇をご出産されたという。数々の伝説を残す神功皇后が、応神天皇に産湯を使わせたといわれる温泉が、北九州地方に残っている。

長崎県壱岐島・湯ノ本温泉 
 
神功皇后が応神天皇をご出産になったと伝えられるのが、壱岐島(長崎県壱岐市)である。福岡県と対馬の中間地点にある壱岐島は、玄海灘に面し、東西15キロ、南北17キロ、総面積は約140平方キロメートル。『古事記』をひもとくと、伊邪那岐命(いぎなぎのみこと)と伊邪那美命(いぎなみのみこと)が次々と国土を生み成したという、いわゆる「国生み神話」のなかにも、その名が「伊伎島=いきのしま」と記される。

 現在も島民の多くが漁業に携わる壱岐の港には、大海で揉まれた漁船が疲れをいやすように停泊している。古来、朝鮮半島や中国大陸へと向かう交通路であった壱岐は、風待ちの島神功皇后も朝鮮半島に向かうに際しこの島で風待ちをし、良風が吹くように祈りを・・・・

・・・・をお祀りする聖母宮が鎮座する。皇后一行が船出したといわれる勝本港が一望できる小高い城山に登ると、海風が吹き寄せ心地よい。 神功皇后が応神天皇をご出産の際に血の跡が残ったと伝えられるあかせ「赤瀬」は、玄界灘に向かい、荒波が打ち寄せる海岸で、海水に洗われながらも今に赤い地肌が残る。
         
 応神天皇の産盈(うぷだらい) といわれる御盥湾(みたらい)の「御盥」は、静かな水面に陽光を映し、外海の荒波を忘れさせてくれる。御盥湾を見下ろす八幡山には応神天皇(八幡神)をお祀りする本宮八幡宮があり、神功皇后がご出産の際に陣痛を抑えるために用いたと伝えられる鏡懐石が納められている。毎年10月15日のお祭りには、この神社からお神輿(みこし)が御盥に面する御旅所(おたぴしよ)まで渡御(とぎょ)する。このほか壱岐島の至るところに、神功皇后や応神天皇にまつわる伝説が残されている。 

 そして、応神天皇の産湯といわれるのが、島の北西岸に湧く湯ノ本温泉である。このお湯に浸かって、神功皇后が産後の体を休められ、応神天皇が日々すくすくと育たれたことから、湯ノ本温泉は「子育ての湯」として親しまれている。 また、奈良時代には国分寺建立のために来島した高僧・行基も、しばしばこのお湯に親しんだという。このころ、湯ノ本温泉を見守る丘の上には、熊野の神が「湯屋・・・・。