の派兵を可能にすると言われるかもしれないが、日本人は軍備に金を使わず、日々の楽しさを追い求めたのだ。だから日本が武装化の方向に向かっているなどと文句をつける外国は、かなり日本人の意識に対して不勉強だという気はする。

長い歴史の経過の中でみれば、外国との関係が悪化したり緊張したりした時期はいくらでもあったはずだ。しかしそうしたことは、運も加わって大したことではない。必ず時が解決する。その時に必要なのは、その国に住む人々の知力であり、正直や勤勉さであり、生命力であり、問題がどこにあるかを探る謙虚さなどである。

日本の盛衰、脆弱さ克服に

しかし最近の日本人の醜さは怠け者になったことと、何より幼児化したことだ。責任はすべて他人のせいになったのだ。苦労なしに生きられるからすぐ流行に乗り、若い時に本を読み込んだり、自分で根本から問題を考えたりしなくて済む生き方を覚えてしまった。

学校秀才の癖に電気も水道もない原始の生活に置かれたら、生き延びる方法もしらない。電気が途絶えて命令系統が失われたら、自分でどう振る舞うか、全くわからない若者たちが増えたのである。

職場ではマニュアル通りに行動する能力はかなり高い。しかし仕事の本質を元から考えて、自分なりの付加価値をつけ、新しい分野を開拓しようという気概や意欲を持つ人は非常に少なくなった。さらにそれらの情熱を押し進め、るのに必要な勇気などというものの存在も、おそらく聞いたこともないのだろう。

人に逆らっても、自分の信念の筋を通す人など、ほとんど見かけなくなったのだ。霞ケ関の役人に接する度に、私は「前例だけで生きているんだなあ」と思うことが多いが、民間の仕事に従事する人も、ほとんど同じような発想しかしなくなった。

人間がまるで機械の一部のようになったのだ。この基本的な恐ろしい脆弱さと腐敗に、安倍内閣が気がついて手をうつかどうかが、日本の発展と衰退の分かれ目になりそうだ。(そのあやこ)