「正論」平成27年5月号
米占領軍の日本洗脳工作「WGIP」文書、ついに発掘

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GIP(War Guilt Information Program)とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期聞に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画です。

はじめに何故、私がWGIPを取りあげたのか、という理由から述べます。WGIPが行われたのは今から約65年前ですが、決して過去の話ではありません。むしろ今でも効き目を発揮し、ますます毒性が強まっている、いわば現在進行中の話なのです。

WGIPが残した毒は、政、財、官、法律、教育等あらゆる分野で、今も枢要の地位を占める人を含む、多くの日本人の思考を今も縛っています。最近も、戦後70年の首相談話を検討する「21世紀を構想する有識者懇談会」の北岡伸一座長代理が、「総理に侵略だといわせたい」などと、およそ信じがたい発言をされました。自民党の三役の一人が、「慰安婦問題は終わっていない」などと、歴史事実を知りもせず、韓国に媚びた発言をする光景には、あきれ返るばかりです。

普通の国では起こりえない、自虐的な発想や、非常識な外交対応などが頻発する背景には教育などさまざまな要因があるでしょう。ですがその源流はWGIPによる洗脳にほかなりません。そしてその洗脳から日本人は解放されていないのです。

関野通夫氏昭和14年神奈川県鎌倉市生まれ。39年、東京大学工学部航空学科卒業後、本田技研工業に入社。フランス、イランなど海外駐在が長く、米国ではホンダ関連法人の社長を務めた。平成13年に退職。実務翻訳に従事。

このままでは日本は、どうかなってしまうのではないか。諸悪の根源を突きとめ、その元凶を絶つ必要がある。そのために多くの日本人にWGIPについてしっかりとした認識を持って欲しいという思いがありました。

WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問もあるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペデイアにはWGIPについてこう書かれているのです。

《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》

今や一部では存在すら危ぶまれているのです。現資料が紛れもなく存在することを世の中に示したい。それがWGIPの文書を探し始めた大きな理由でした。

ピンポイントで文書を特定する困難

そのようなわけで文書を探し始めた私はまず私は国会図書館に足を運びました。検索で資料が出ないか、と試みましたがどうにもうまく進みません。自宅でも検索を重ね、目当ての文書がどうやら明星大学(東京都日野市)戦後教育史研究センターに所蔵されていることがわかりました。

早速、明星大学に足を運びましたが、二万五千点もの膨大な資料があって、この中から目当ての文書を特定しなければなりません。全ての文書に目を通すことは到底できないし、絞るにしても目録だけで五百ぺージ近くあって、至難のワザでした。

高橋史朗教授や勝岡寛次氏にもアドバイスをいただき、さらに私なりの"読み"を加えながら、丹念に絞り込んでいきました。そしてようやく目指す文書を手にすることができました。ここにその文書のリスト.(72頁の表1)を示します。「江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」というウィキペディアの記述が誤りであることがこれで明白になりました。

日本人洗脳工作の構図

まず、ブロックダイヤグラム(73頁の図1)を見て下さい。文書に入る前に、洗脳作戦の全体的構図を説明し、その中でWGIPとは何かを説明します。占領下の日本人洗脳作戦において、実際、一番権力を持っていたのは、アメリカ本国の大統領府であり、当時の大統領トルーマンは、極め付きの反日、侮日主義者で、原爆投下については、「獣を扱うには、獣にふさわしい方法でやった」と、日本人を獣扱いしていたと言われています。

それに比べると、日本に進駐してきた軍人は、進駐当時こそ、JAPとか黄色い猿とか言っていた人も、暫く経つと親日的に変わっていった人が多かったようです。特に、海軍の場合は、海軍同志で、戦前から交流の機会が多く、特にワシントン海軍軍縮交渉で知り合った同志は、終戦直後でも、比較的友好的な交流があったようです。

日本で最高権力者として権勢を誇ったマッカーサーですが、最後はアメリカ大統領には適いませんでした。後に、朝鮮戦争での原爆使用の可否で意見が対立し、トルーマンによって解任されています。

日本の中での最高権力組織は、もちろんGHQですが、これは正確には、GHQ/SCAPという名称でした。GHQは'General Headquar tersの略で、いわゆる総司令部、SCAPは、Supreme Commander for the Allied Powers(連合国総司令官)の略です。マッカーサーは、両方を兼ねています。

このGHQ/SCAPの下に、WGIPの主役となる、CIE或いはCI&E(民間情報教育局)や、Gー2(参謀第2部)、CIS(民間諜報局)或いは、CCD(民間情報検閲支隊)、極東国際軍事法廷(いわゆる東京裁判法廷)などがあり、そして日本政府も、この一翼を担っていたわけです。

CIEは、日本人を洗脳するために、どのように日本のメディアを操り、どのような情報を流すかを考え実行したわけです。その内容が、私が収集した原資料に繰り返し出てきます。これに対して日本人に知られたくない情報を日本人から隠したのが、焚書(占領軍にとって有害な図書の没収)や、報道の削除や禁止を定めた命令でした。

しかし、いずれの場合でも、占領軍は、日本の一般人に対しては直接実行する方式ではありませんでした。日本政府や日本の報道機関を通じて実施した間接統治であったことが、この作戦の巧妙な所であり、多くの日本人は、それらの思想が、占領軍から押し付けられたことに気づかない。

日本政府や日本人自らが行ったと錯覚させられてしまう。そういう巧妙な構造のもとで進められました。

WGlPとは何か

東京裁判と「日本=戦犯国家」という刷り込みは、どのように行われたのでしょう。前段でも触れましたが、WGIPは、占領軍が行った日本人洗脳作戦の中核をなすものです。そして、そのなかで最優先かつ最重要な案件が、極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)です。

そのことは、最初に紹介するCIE文書にもーまだウォーギルト インフオメーション プログラムという言葉はこの時点では使われてはおらず「インフオメーション プラン(Information Plan)」となっていますがー出てきます。

まず昭和20(1945)年12月21日付で、GHQ/SCAPから出されたものと思われる、CIEの局長あての文書をご覧下さい(写真@Aと英訳、76〜79頁)。

これは、日本の占領初期に出されたものです。非常に基本的ですが、その後の作戦の主要部分の根幹を示す重要な文書です。その3ページ分の英文の全訳を示しました。下記にその趣旨を説明します。

この文書の原文には、各ページの上下に、極秘(Confidential)と表示されていて、日本人には見せたくない文書であることを示しています。WGIPには、積極的に日本人を洗脳する作戦と、アメリカにとって都合の悪いことを糊塗する作戦の二つの側面がありますが、この文書では、積極的に日本人を洗脳する作戦の基本が書かれています。

この文書は、1、U、Vの三部からなっており、第-部は、日本の戦争犯罪を定義したものであり、極東国際軍事裁判(東京裁判)における、戦犯訴追の基本をなす、非常に重要なものです。CIE文書の始めに出てくるということは、東京裁判が、WGIPの一丁目一番地であることを示しています。

ここで述べられた、BおよびCは、それほど不当な内容ではありませんが、Aに書かれていること(いわゆるA級戦犯の訴追原因)は、非常に問題があります。これは、一般に事後法で裁いたと批判されていますが、反論する人は、おそらく1928年のパリ不戦条約(Pact of Paris)、別名ケロッグ=ブリアン条約(Kellogg-Brian Pact)を持ち出してくると思われます。

このパリ不戦条約も考慮しながら、このA項を考察、批判してみましょう。

パリ不戦条約では、「侵略戦争」は禁止されていますが、そもそも「侵略」とは何かが定義されておらず、アメリカ自身、条約批准に際し、自衛戦争は禁止されていないとの解釈を打ち出し、さらに国外に色々な利害関係を有したイギリスとアメリカは、国境の外であっても、自国の利益に係わることで軍事力を行使しても、それは「侵略」ではないとの留保を行っています。

さらにアメリカは、自国の勢力圏とみなす中南米に関しては、この条約が適用されないと宣言しました。「侵略か自衛か」「どこが重要な地域であるのか」は当事国が決めてよいというのが流布された解釈でした。また、1928年当時、日本は、蒋介石政権を認めておらず、相互にパリ不戦条約に従う義務は有りませんでした。

1917年の石井-ランシング協定では、アメリカと日本は、地理的近接性は、その国家間の特別な関係を生む、従って、アメリカ政府は、日本が支那において、特に近接している地域において特別な利害関係を有することを認めるとしています。

パリ不戦条約(の侵略戦争禁止)は、空文であるとの学者の批判もありました。従って、まず、満州事変以来の日本の行動は「侵略」であるとの根拠は有りません。アメリカは、自国には適用しないと宣言したことを日本には適用するという、完全な二重基準を用いているのです。

「侵略戦争」が定義されておらず、日本の行為を「侵略」と定義できない以上、「戦争の計画、準備や、そのための計画への参加」は罪になるのでしょうか。どこの国でも、自国に対し敵対行動を取る可能性のる国を対象に、防衛計画を立てるのは、為政者として当然の行為であり、不法どころか義務でさえあります。

その典型例がアメリカの対日軍事作戦計画であるオレンジ計画だろうと思います。むしろ、日本は、オレンジ計画のような計画を立てなかった指導者が責められこそすれ、戦争を計画した罪で訴追されるなど、全く理不尽です。

東京裁判におけるA級戦犯の訴追を、もう一度振り返って整理してみます。

(1)パリ不戦条約を根拠とするには、そもそも条約で「侵略」が定義されておらず、むしろ当時のアメリカやイギリスの明示的な考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は、「侵略」とは見なすことができない。

(2)日本の行為を「侵略」と見なすと、アメリカやイギリスの行ったことも「侵略」或いは「侵略戦争」の計画、準備であり、その指導者はA級戦犯になる。

(3)ケロッグ国務長官は、アメリカ上院の不戦条約批准を巡る討議において[経済封鎖は戦争行為そのものである]と断言しており、この言に従えば、日米戦争を始めたのは、日本ではなく、アメリカであり、ルーズベルトは(死亡していたが)A級戦犯である。

このように、WGIPの最優先課題である極東国際軍事裁判の目玉であるA級戦犯訴追こそ、まったく法的根拠がないといわざるを得ません。

執拗かつ徹底した宣伝計画の中身

第U部では、日本のメディアに対する作戦の目的が述べられています。AからIまで、9項目が書かれていますが、そのAでは、[侵略戦争を計画し、準備し、始めたか、始めるべく陰謀を巡らせたことで有罪とされた者達を罰する適切な倫理的根拠があることを示す]となっており、皮肉なことに、ルーズベルトは、この条項のすべてに当てはまり、公正な裁判なら、真っ先にA級戦犯として訴追されていた理屈になります。

一方、こうした文書が残っていることは、アメリカの公正さを示す証拠かもしれません。

第V部は、各メディアに対する具体的な作戦が書かれています。Aが、新聞、雑誌、Bが、ラジオ、Cは、短編フィルム、Dは、スライドフィルム、Eは、ドキュメンタリー、最期のFは、日本の(民主的な)緒組織に対する優遇処置ですが、各々、東京裁判の開始前、裁判中に何をすべきかが書かれ、Eのドキュメンタリーでは、裁判終了後に、何をすべきかが書かれています。

こうした作戦に基づき戦勝国の言い分を垂れ流す具体的な宣伝が『太平洋戦争史』と『真相はかうだ』でした。『太平洋戦争史』はGHQが昭和20年12月8日、自分達の戦争記述を各新聞社に10回に渡って連載するように命じたものでした。

9日からはNHKで10回に渡るラジオ番組『真相はかうだ』が放送され、軍国主義者の犯罪や国民への裏切りなどが明るみにされました。

Fの優遇、奨励すべき組織の所では、具体的な名称は、書かれていませんが、当然、日教組なども、優遇、奨励された組織と考えられます。

上記が、WGIPについて書かれた最初のCIE文書です。ここに、WGIP作戦の主要部、おそらく7〜8割が描かれているとおもいます。含まれていないのは、時の経過とともに判明する、東条元首相の法廷における陳述や、原爆投下に対する批判への対策などです。

実にきめ細かく、日本のメディアを操るかが描かれており、これだけ、しつこく日本の戦争犯罪というものを刷り込まれれば、日本人の多くが、日本は戦犯国家であることを信じ込まされ、今なお、信じ続ける人が居ても不思議ではないのではないでしょうか。

この辺が、白人、特にアングロサクソンのすごいところだと思います。日本人にはとても真似できない徹底ぶりです。

東京裁判開始後の批判への対応

ここまでは、占領軍(CIE)が、積極的に日本人を洗脳するために計画した作戦について書きました。ここでは、その後出てきた、米国に対する批判に対する対応という防御的な作戦について書きます。

彼らが、対策が必要な問題だと具体的に問題視していたことが二つあります。一つは、東条元首相の、「この裁判は勝者の復讐劇だ」という東京裁判の法廷陳述であり、もう一つは、原爆投下を残虐行為だとする、日米における批判です。これは、ある意味、彼らも内心は、そう思っていたことの証拠であると思われます。はしなくも、本音が表れていると言えます。

写真B(82頁)は1948年2月8日付でOIC(CIEの政策担当部門の責任者)からCIEの局長に出された内部のメモです。《広島(および長崎)への原爆投下と、戦犯裁判における、超国家主義者東条の証言に関する、日本人のある種の態度と、疑わしい態度の対策としての情報および他の活動を具体化している第3期の活動を行うことを提案する》

WGIPの第三期の活動は広島、長崎への原爆投下に対する米国批判に如何なる手を打つか、東條英機元首相の陳述を支持する動きをどのように封じるかにいかに腐心していたかが読み取れましょう。

双方とも、まともに反論するのは逆効果だとCIEは悟っていました。そこで、彼らがとった作戦は、東条元首相の法廷での陳述に関しては、それを報道する際は、必ず、日本の戦争犯罪と併記して、東条発言を中和するという戦術でした。原爆投下については、なるべくアメリカの名を出さない、そして、東条発言の場合と同じく、中和戦術でした。

そのことが読み取れるのが写真C(83頁)で示した1948年3月3日の文書です。この文書では冒頭、「目的」とあって@広島、長崎への原爆投下が残虐行為で広島でのアメリカの復興計画は償いなのだと理解する考え方があるA東條元首相が果たした役割と日本の侵略行為を正当化する感情が拡大しており、感情の背後に誤った考えがあるーなどとして対策が必要だなどと述べています。

そして次の項目「計画の基本に関する考察」でこう述べています。《現在入手可能な文書による情報によれば、超国家主義と(原爆投下を)残虐行為であるという考え方は少数派として封じ込められている傾向がある一方で、直接的で正面攻撃的な情報攻撃は藪蛇になり、日本人大衆の多数意見を刺激し固めてしまうことに最大限の注意を払うよう指示されている》

日本の世論が硬化することがないよう彼らが留意しているのがわかります。そして次にこういう記述があります。

《東條元首相の裁判と広島ー長崎の"残虐行為"の話は。戦争犯罪"計画の見出しの下に来るように適切に考えるべきである、というのが共通である》彼らにとってマイナス要因となる話題については、正面から否定、攻撃して日本の世論が硬化してしまうのは避けたい、だからその話題をするときは、必ず日本の戦争犯罪の話題を持ち出し、中和・相殺を図るということが書かれているわけです。

原爆慰霊碑に刻まれたトリック

ちなみにこの文書には「戦犯裁判における検察側の最終弁論の全文を発行するよう、朝日新聞或いは他の同様な出版社に推奨する」とあります。CIEの手先として使う出版社として具体的に名指しされているのは朝日新聞だけです。朝日からは東京裁判第7輯 最終論告・弁論各論』(朝日新聞法廷記者団)という書籍が出されていますが、今後の解明が待たれるところです。

原爆死没者の慰霊碑に刻まれた言葉にはこう書かれています。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。誰が誰に言っているのか、過去にも議論になったことが有ります。これは、日本語の主語や目的語を表現しないという特性を利用した、アメリカ隠しです。CIEは、慰霊祭に係官を派遣しました。

もちろん慰霊のためではありません。日本人の反応を探り、そして、ここから先は推量ですが、なんとかアメリカ隠しを図ったのではないかと思われます。この係官が、碑文の作成者や、広島市の関係者と、碑文について接触したかは分かりませんが、少なくとも結果としては、CIEが望んだようなものになりました。

とにかく占領軍(CIE)は、見落とすものが無いように、万全の注意を払って、目的を遂行しました。

江藤淳は、その著書『閉ざされた言語空間』のなかで、次のように書いています。《前掲のCI&E文書が自認する通り、占領初期の昭和20年から昭和23年に至る段階では、"ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム"は、かならずしもCI&Eの期待通りの成果を上げるには至っていなかった。

しかし、その効果は、占領が終了して一世代以上を経過した近年になってから、次第に顕著なものとなりつつあるようにおもわれる。それは、換言すれば〈邪悪な〉日本と日本人の、思考と言語を通じての改造であり、さらにいえば、日本を日本でない国、ないしは一地域に変え、日本人を日本人以外の何者かにしようという企てであった》

私が読者に望むことは、政、官、財、司法、教育その他言論界の多くの日本人が信じている俗説は占領軍によるWGIP作戦という日本人洗脳工作の結果だと理解し、一日も早く、そのマインドコントロールから脱してほしいということです。

それなくして、日本人の精神的独立は達成できないと思います。なお、ウォーギルトインフォメーションプログラムを取り上げたブックレットを自由社から上梓してあり、あわせてお読みいただければと思います。