日本よ!オリンピック招致競争のメカニスム 石原慎太郎 2016年のオリンピック招致キャンペーンはいよいよホームストレッチに入ってきたが、主催候補地の優劣を競う戦いは、ある意味でその国の代表的な都市の魅力の競合ということで国威の競争ともいえそうだ。これは政治的というよりもむしろ各々の国の文化、文明の比較競合ということだが、それにしても時間的空間的にいかに、も狭小となった現代の世界で、現実に起こっている国際間題がことの成否を左右しかねないという意味においては、まさに外交そのものともいえそうだ。 第一次予選で東京は一応最高点で予選を通過したが、その後の競争は目に見えにくい隠微な部分を含めて、まさに外交そのものといえる。アジアの代表としての日本、EUで団結の進むヨーロッパの今回の代表たらんとするマドリッド、世界の新しい第三第四勢力たらんとして、北に君臨するアメリカへの複雑な意識を構えての中南米の代表リオデジャネイロ、そして凋落の色濃いアメリカの第二の大都市シカゴ。 この四者の相克は、実はそれぞれの地域と世界との関わりの歴史的推移を踏まえて、現代史の本質を表象している。 それは今世界で起きている幾つかの大きな問題との関わりで簡単に予測を許さない。そしてそれらいくつかの問題の起因に、アメリカという超大国の引いた引き金がある限り、アメリカの今後の姿勢とその成果が如実にことを左右するに違いない。 その一つはくすぶりつづけてきたパレスチナとイスラエルの紛争と、それに対するアメリカ政府の姿勢。 アメリカの金融やメディアの多くをユダヤ系のアメリカ人が支配しているという現実の元で、新しい政府がどのような理念をかざし彼らの意に逆らってでも、和平の調停をどこまでいかに進めることが出来るものかどうか。 19世紀から20世紀にかけての世界史の原理は植民地主義に他ならなかった。食うか食われるかの相克が世界中に広がり、日本を除く有色人種の国家や地域は西欧文明で武装した欧米によってすべて植民地化されてきた。 日本の起こした第二次世界大戦は結果としてその原理に終止符を打ち、それぞれの地域での独立戦争や白人の意思による開放の結果彼らは 独立を果たしたが、その推移の過程でパレスチナとイスラエルの問題についてイギリスがついた二枚舌、いや正確には三枚舌の嘘が今日までつづくかの地での混乱紛争の究極の原因となっているのだ。 その限りで、パレスチナに共感を抱くイスラム圏の国々の心情は、ガザでの紛争の推移いかにではより鋭いものになりかねまい。 加えて、オバマ新大統領はイラクから撤退しアフガンのテロ勢力の制圧に力を注ぐといっているが、アフガンもまたイスラム圏の一つであり、今後の展開いかにで20世紀にいたるまでつづいた植民地支配という歴史原理の余韻は、それぞれ独立を果たして連帯する中東のイスラム諸国に新しい反発を誘発しかねまい。 1面から続く 同時に、アメリカで初めての黒人大統領の誕生という画期的な出来事に、アフリカの黒人国家群がどのように強い共感を抱くのかどうか。 そしてさらに、そうした国の代表として実際に一票を持つ委員たちが、どのような心理でどのような投票を行うかも実は予測がつかない。彼らにとっては他の地域国々に比べてなお一層、オリンピック招致での投票は国連にもかかわるバーゲニング・ポイントとなるそうな。 そしてさらにアメリカ発の津波として今日世界を覆っている経済恐慌が、その発信源であるアメリカのどのような努力によって、どれほどのタイムスパンで克服の兆しを見せるのかどうか。 オバマは「変化」 「変革」なるキ−ワードで選挙を勝ち取ったが、一体アメリカの何をどう変化、変革させるのか。彼らとして今最も必要な「変革」とは、今日実体経済にまで深刻な被害をもたらしたアメリカでの金融敵艦の引き金の起因となった、おのれの分際も心得ず先借りのローン、ローンで贅沢をしてきたアメリカ人の消費願望を抑制するということではなかろうか。その体質の変革はかなり難しいだろう。 思い直してみれば、1970年代から台頭してきた、表面的な利益追求として金融市場でのマネーゲームはわずか三、四年でそれまで従来世界一の水準を誇っていたアメリカの工作機械業界をつぶしてしまった。その結果あの湾岸戦争でアメリカは、日本の先端諸技術に頼ってあの戦争に勝利せずにはいられなかった。 今日世界全体のGDPを上回る金が溢れ出回っているといういかにも不健全な経済状況をもたらした現況の中で、アメリカの国民が果たしてそんなに簡単にその欲望の本質を変革できるものだろうか。 レーガン政権時代アメリカは社会保障の財源を投資信託による利益にシフトしてしまった。故にも株価の維持は彼らにとって致命的な政治命題だ。橋本総理時代、彼がアメリカの大学で、「日本も財政多端なので、持ち過ぎているアメリカの国債を少し売りたいのだ」といった途端、右肩上がりできていたウォールストリートの株価が翌日五%下落してしまい、周りが慌てて橋本の口を塞いでしまったというのは象徴的な挿話だ。 アメリカはこの経済恐慌の建て直しのために、またぞろ日本にアメリカ国債を買わせるつもりのようだ。このままいけば下手をすれば揚げ句は紙屑にもなりかねないアメリカの国債を何を担保にさらに買いこもうというのだろうか。 政府は何気兼ねしてか日本が抱えているアメリカ国債の総額を明かさないが、民間の尻を叩いて買わせたものを合わせれば総額茫大なものといわれているが、それは果たレて日本にとっての有益な担保となり得るのかどうか。今日のアメリカ発の経済恐慌の態様を眺めなおせば、我々としても眉に嘩つけて考え直す時期にきているのではなかろうか。 今年の十月という間近に迫ったオリンピック招致都市の決定は、実はそうした問題の推移解決にも深く関わっている。これはある意味で生の外交や戦争を超えた複雑な外交パズルといえそうだ。 オリンピックに関心ある日本の国民も、そうした視点でことの成り行きを見守ってほしいものだ。これはオリンピックというあくまで文化の祭典を踏まえて世界の推移、動きつつある現実の歴史について、その本質を知るいい取っかかりに違いない。 いずれにせよ、この私たちの世界はいかにも狭く小さくなったものだ。 しかし本当は世界はもっともっと以前からオリンピックによって狭くなっていたのだ。 オリンピックの別名は「五輪」ともいうが、あの五つの輪のロゴマークが誕生した所以をほとんどの日本人は知りはしまい。 近代柔道の道を開いた嘉納嘉五郎はオリンピックの創設者ク−ベルタンと、体育によっって子供を健全に教育するという論を通じて親交を持ち、フランスに次いで世界で二番目に教育の中にカリキュヲムとしての体育を組み入れたのだった。 そうした論をかざして彼は体育教育の普遍に努力し、IOCで初めてのアジア人としての理事となりい以来アジアも加えてということで五輪のロゴが普遍していったのだった。 そうした優れた先人を持つこの日本が、果たしてこの秋の決勝で再び世界を結ぶ祭典の主催者になるかならぬか、そのこそが世界を覆う歴史のの一つの表示となるに違いない。 題字は高橋峰外氏 2面に続く 2009.2.2 |