一服どうぞ 裏千家前家元 千 玄室
平和に通じる茶道の精神
爽やかな秋空を見上げていると、夏の猛暑がうそのように思われ、「やっぱり秋はいいなぁ」。俳人気取りで一句ひねりたい気持ちにさせる。しかし、自然の尊さ有り難きを感ずるためにも冬と夏はまた格別な季節である。
村上鬼城の「痩馬のあわれ機嫌や秋高し」の句を思いだした。馬術界の代表として、颯爽と北京・香港でのオリンピックに参加したが、残念ながらよい成績をあげることができなかった。痩馬のあわれではないが、馬が主となる人馬一体の競技だけに、敗れた選手にはあわれ機嫌やと馬とともに次の機会にと慰めたのである。各地の天候不順もオリンピック開会式のための打ち上げロケットによるものと風評されている。人間の自然を破壊する力は恐ろしいものである。
中国の荘子の応帝王第七のなかに、南海の帝?(しゅく)と、北海の帝忽(こつ)の話が出てくる。ある時、?と忽とが中央の帝混沌のところへご挨拶に伺った。いつも高配をいただいているので、何かお礼をしたいと2人は相談をした。「他の人は、誰でも身体に7つの穴があり、それで聞いたり、食べたり、息をしたりしているが、中央の帝にはそれがない。ひとつお礼返しに身体に穴をあけてみよう」ということになった。そして、穴をせっせとあけたのだが、7つ目の穴をあけたところで混沌は?忽(瞬時とも解釈する)として消え去ったという。未分化のものを分化させるのは人為であり、そのためにかえってすべてのものを滅してしまうのである。これは、自分の考え方のみが正しいと思って行為をなすことは、時には危険だとの教えである。荘子は人間の行う「人の為に」という偽善的な行為を戒めている。
私はハワイ大学の他、韓国中央大学の客員教授として出講している。5年前、80歳の時に思うところがり、この大学の博士課程の院生になって、論文研究に取り組んだ。その中心的テーマは、自然と環境に関する問題をはじめ、アジア特に中国と韓国を経たわが国における茶文化の発展史であった。それを纏めるのに3年かかり、完成させることができた。私は論文で、単に学術的に茶文化の発展過程を述べるだけでなく、私の茶文化交流についても触れた。今日まで40年以上の年月をかけて、世界に日本の茶道の精神とその在り方を独力で紹介し、多くの同調者を得て、それぞれの国に茶の文化の拠点を造ってきたことなどを述べたのである。自分でもよくここまでやれたと思っている。おかげで一?のお茶を通じて、いろいろな方々との交流のみならず、平和に対しての共通の理念を持ち合うこともできた。茶室という狭いと思われる空間が無限の世界に通じ、それがあらゆる人々の和らぎの場に展開されることを現実に実践したのであった。
今月の中旬には、アラブ首長国連邦政府の招きで、首都アブダビを訪問する。現地では、皇太子殿下および同妃殿下のご要望に応えて茶会や大学での講義、そしてさまぎまな交流が、一?のお茶をもって行われることとなった。大仕事である。石油問題が厳しいなかで、一?のお茶が石油生産国において何らかのお役に立つことができたらと念じている。 (せん げんしつ)
(情報源:産経新聞H20.10.5)
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