天ぷら かわむら社長 東京雪州会理事

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情報源:雪州会だより 第22号から()平成6年10月発行

懐かしい壱岐の思い出  ふるさとの発展を願って  川村小夜子
 故郷壱岐の島を出て早や五十五年が過ぎました。東京の空気が汚れたせいか、世の中が騒がしいせいか、また年を重ねた為か、あの玄界灘の太陽に輝くキラキラした海が懐かしく思い出されます。町と学校が一体となって理路整然と教育していただいた事にしみじみと感謝を致しております。
 
 勝本の学校の裏山にはグミが生り、野苺があり、枇杷が生り、いつも勝手に取って喰べた事が懐かしい。夏は水平線のかなたに夕日が沈むまで。口びるが紫色になるまで、海の中で遊んだものでした。大自然の恵みのなかで豊かに育てていただいたことは感謝で一杯!!

 昭和四十四年九月十日、十一日に長崎国体が開催され、当時の皇太子殿下、美智子妃を勝本国民宿舎壱岐島荘に御案内役をさせていただいたのは、町会議長を致しておりました私の叔父に当る熊本長太郎でございました。今だに、家の中にその時のお写真が飾ってあります。その後の壱岐の島は私の幼い頃と違って、素晴らしい観光地に大発展した様子です。

 故郷が発展する事は大変嬉しくもあり、尊敬を致しております。あくまでも大自然を汚さずに島らしさを失う事なく、人々の心よりの憩いの場所であることをお祈り申し上げます。私も東京丸の内で壱岐の島出身者として頑張ってまいります。(東京雪州会理事 天ぷら なかむら社長)

:長崎県人会事務局長宮城孝氏から送ってきた広報誌「丸の内」によれば、川村さんは現新東京ビルにあって政・財界のお歴々が利用した「常磐家」という超一流の料亭で八年間修行されたのち昭和四十一年皇居に近い丸の内の国際ビル開館と同時に「天ぷらかわむら」(電話3213-4838)という天ぷら専門の店をオープン。当会との出会いは、関東島原半島会幹事の小嶺さんが店を利用されたとき、川村さんが壱岐出身である、会合があれぱ出たいと漏らされ、このことが前記県人会の宮城さんに伝わり、宮城さんから私に連絡があったご縁によるものです。お店は四十坪もある広さで入口もニケ所あります。川村さんは、昭和三年生まれというのに、店内を走るようにして采配を振っておられ私もビックリしました。(後藤記)