オピニオン 今回の地震から学ぶこと 曽野綾子の透明な歳月の光 厳しい人生に耐える覚悟 関東大震災、原爆投下あるいは東京などの大空襲、そして今回の東日本大震災は、近年の日本人の心に残る大きな事件となった。私は関東大震災は知らないが、どの場合にも日本人は、まずかけがえのない「愛する者たち」の命が失われたことに、人生観が根本から変わるほどの深い衝撃を受けはずだ。どんな生涯も貴重なものであった。それが失われたことを、心底烈しく悼んだ。戦争も天災も、その点では同じ残酷な運命であった。 その死を悼む思いは別として、私たちは常に人生からも、今回は地震からも何かを学ばねばならない。それが人間の分際というものだ。そして今、私の耳にはアウグスティヌスが「存在するものはすべて善である」と考えた強烈な叡知の言葉が聞こえてくるような気がする。いかなる運命からも学ばない時だけ、人はその悲運に負けたことになる。 さしあたり、私たちは、「安心して暮らせる」などという現世には決してない言葉に甘えることの愚をはっきりと悟るべきだろう。長い年月、私は政治家が選挙の度に私たちに「安心して暮らせる生活」などという詐欺に等しいものを約束し、国民もまた、いい年をした老人までが「安心して暮らせる生活」を信じて要求した。もうこの辺で、その錯覚をはっきりと見定めて生きるべきだろう。 しかし私は今回ほど、我が同胞に誇りと尊敬を持ったことはない。あれだけの災害に遭いながら、よその国だったら当然起きたはずの、店舗や個人の家に対する略奪も放火も全く起きなかった。配給中の物資の強奪もなかったし、汚職や騒擾(そうじょう)も聞こえてこない。 人々は配給の食料を整然と列を作って受け、量が十分でない場合には、簡単な合議制で公平に分け合った。運命を分け合う気力はすばらしいものだ。産経新聞の3月14日付の記事が、宮城県下で窃盗事件が相次いだと報じただけだ。 もちろん災害の中心地は破壊が烈しくて盗むものもなかっただろう。盗まれたのは塩釜、多賀城などの食料品店で、総額わずか40万円。休業中のガソリンスタンドで、ノズルに残っていたー㍑のガソリンを盗もうとした24歳の会社員まで入れてである。 あってはならない災害だったが、今回の事件で、日本と日本国民に対する評価は世界で一挙に高まると思われる。厳しい天災の中にあって、このような静謐(せいひつ)を保てる気力は、世界にそう多くはないからだ。 昔から私たち一家の親しい知人だった台湾の『天下』誌の総編集殷允琺芃(インインホウ)女士は、、急遽温かい励ましのファクスを送ってくれた。 「私たちは日本の人々と新聞によって示された、静かな秩序と威厳に圧倒されました。日本がこの試練と困難から脱け出し、回復し、より強くよりよい国になられること」 災いを転じて、日本の若者も眼を覚まして厳しい人生に耐える覚悟をすることだ。情報源:産経新聞H23.3.16 |