壱岐式内社。斉衛3年〔856)の「文徳実録」に、官社に列すと記されています。『延喜式神名帳』(927)に、「壱岐島壱岐郡、角上神社小社」の「トカミ山のトカミ様は、「角上神社・塗神(つのかみ・とかみ)」と記されています。

当時は、麓の深江田原(平野)は大きな沼地で、水はけも悪く大雨が降ると洪水になるため、交通の大障害となり、皆が困っていた為、ここト神山に「角上神社」を勧請したと云われています。

延宝4年(1676)6月、橘三喜査定の式内社報告書に「道という道もない山上の神」とあり、藩主より木鏡と石祠を献納されたと記されています。

「神社帳」に、「とかみ」角上神社小二十四座の内に新たに勧請されたと記されています。古代、田原は沼地で河川の渡し場があり、壱岐ではこれを「ト」と呼ぶところから、トカミは渡りの神で「山形ト神」・「鶴木ト神」・「みさきト神」などの一連ではないかと言われています。元は、社殿のない山神だったと思われ、平地の渡場に宮があったので「トノミヤ」とも呼ばれていました。

その後、コンクリートフロックを積んだ社に、トタン張り1間方の小社殿が置かれ、鳥居だけが大きく目立ち、戦時中は、他地区からも参詣参籠するほど、賑わいがあったそうです。

昭和13年3月16日に「若宮神社」が、合祀されています。地元では、「とかめ神社」や「とかめさん」と呼ばれ、祭の日は鳥居の前にある土俵で奉納相撲が行われているそうです。

角上山の山頂の神社からは、「深江田原」や「木田田原」を一望出来るほど、素晴らしい景観で、公園を造る話しもあったそうですが、今は植林により田原は見えなくなり、境内にある大きなイチョウの木や、スダジィ、タフノキなどが神域を護っています。

【祭神】▽スサノオノミコト

【相殿】▽ニントクテンノウ▽チュウアイテンノウ▽オウジンテンノウ

【祭典】9月18日