・・・ろう。日本社会の各層をつらぬいて地下水のように流れつづけてきた神仏信仰が、そのような形で戦後の日本人に蘇っていたのではないだろうか。

天皇という「伝統」の場
二重橋ではかならずしも癒やされなかった心、九段でも悲しみの淵に引きずりこまれたままだった心が、浅草にきてやっと、はるかなる安らぎの声にふれるような体験が、そこにはひそかに息づいていたのではないかとも思う。「東京だよおっ母さん」のもっとも重心の低い部分で鳴っている静かな旋律が、そういうものだったのではないだろうか。

昭和41年6月のことだった。当時、世界の若者たちの心を制覇していたビートルズが来日して、世間を驚かせた。しかもその会場に選ばれたのが、九段坂上をはさんで靖国神社と向き合う日本武道館だったことが物議をかもすことになった。ビートルズという得体のしれない「黒船」にたいする一種のアレルギー現象だったのだが、しかし公演そのものは大成功のうちに幕を下ろしたのだった。

このビートルズの最初にして最後の来日公演はファンはもとより、かれらに何の興味ももっていなかった年配者たちを含めて日本中の話題をさらったのである。

やがて世紀の変わり目の平成時代に入って、小泉政権が誕生。首相の決断による「靖国参拝」が火種となって、それがにわかに政治問題化していったことは周知のことだ。身動きならぬ膠着状態を生みだし、こうして今や、島倉千代子の歌う「東京だよおっ母さん」は時代による風化の波にさらされ、もはや誰の記憶にものぼらなくなっているのかもしれない。

「ここが、ここが、二重橋」で、天皇という名の伝統と出合った体験が稀薄になっていく。「あれが、あれが、九段坂」で、眼前に彷佛する母親、死者そして先祖の面影にすがった旧世代の切ない気持もしだいに遠のいていく。そして「ここが、ここが、浅草よ」に、最後の魂の救いを求めた震えるようなかれらの慰めも、もう忘却の彼方に沈んでいるというほかはないのだろう。(やまおりてつお)