★今でもドイツ人はビフテキのの変わりにゲーテなのです。スパゲッティよりワーグナーを好む。
無信仰の日本人は、世界で人間扱いされてないんですよ。ドイツ人と日本人は、おなじ敗戦国でも同等に扱われてません。そのことを日本人は知らない。国際社会は宗教心がいかに大切か、…ということを。戦後、アメリカ占領軍が靖国神社を廃止しようとしたんですが、それに断固反対したのは神道の神主さんでも、仏教の坊さんでもなく、上智大学のブルーノ・ビッターという神父さんだった。「これは宗教弾圧だ」といって猛反対したのです。当時、日本人はびっくりしたけれど、いまはもうみんな忘れています。
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上田 そのとおりですね。どこの大学でも、いろいろな形の「大学祭」をやっていますが、神さまなんて聞いたことがない。
−祭は「人間と神さまがいっしょになって楽しむ」のが本来のはずですが、いまの祭は神さまと関係がない。あれでは面白くない。
上田 「祭栄えて神なし」というのが日本の現実ですか。
 たしかに、京都の紙園祭には何十万という人出があります。そしてこのごろは男も女もファッショナブルな浴衣を着る人が増えてきましたが、しかし肝心の八坂神社に詣でる人はほとんどない。祭は観光イヴエソトでしかない。
「神詣で」などはおもいもつかない。町に出て知っている学生に会ったので「八坂神社にお参りしたか?」と開いたら「それなんですか?」といわれた。わたしはそれでも、祭によってみんなが元気になってくれれば祭の目的は達せられた、とおもうのですが、しかし、やっぱり元気にしてくれた元の神さまのこともちょっとはかんがえてほしい、とおもう。一方、ヨーロッパの村や町にいくと、いまでも遠くから教会の尖塔が見えます。また村や町にはいると教会がその中心部にあります。教会がたんに宗教施設というだけでなく、いまも多くの人々の生活の中心になっている。だから、村や町のセンターに教会があるのは当然だし、また廻りの田園からもよく見えるように高い尖塔が建っている。 そのことはミレーの「晩鐘」という絵を見るとよくわかります。・・・
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アメリカの若者はなぜ戦争にいくのか?
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「アメリカは宗教国家だ」と実感したのは「9.11」のテロのときです。クリントン大統領の女房のヒラリーさんが「アメガカ人は大統領の下に結束せよ」とテレビで絶叫した。 かんがえてみると、それは「反対党のブッシュ大統領の下に結束せよ」ということです。日本の野党ではちょつとかんがえられない行動である。「国難」に遭ったらアメリカは民主党も共和党もない。船が沈んだら元も子もないからです。国家あっての民主党であり共和党だからでしょう。「船を沈めてはならない」というアイデンティティーが政治家にも国民にもある。今度の大統領選挙でも、負けたケリーは「敗北宣言」のなかで「わたしとアメリカ大統領は、アメリカの分裂の危機にたいしてともに戦う」といってります。それが「宗教国家」というものの中身ではないですか。

 しかし日本では、ちょっと国際的な事件が起きると、世の中が、それこそ蜂の巣をつついたような大騒ぎになる。各人勝手に自分の意見をのべる。国益のことなどあまりかんがえない。そういう国家ではないからでしょう。だがそろそろ、小松左京の
『日本沈没』を真剣にかんがえるべきときではないか、とおもいます。「地べた国家」も沈没する危険性がでてきたからです。現に数年前、中国政府の某指導者がある外国人政治家と会談したとき「五〇年後に日本という国は地球上に存在しないだろう」といったことばを忘れることはできません。というのもカルタゴの例があるからです。紀元前後に地中海に一五〇〇年も繁栄を希った商業国家ですが、ローマに破れたあとアラブ人に侵入されて、とうとうこの地球上から抹殺されてしまった。いまではカルタゴのことを知る人は誰もいません。日本もそうならない保証はない。 じっさい国旗や国歌なども、いつまでたっても戦争中のイメージでしかとらえられていません。あるいは人ごとのようにおもわれています。アメガカで驚くことのひとつは、ビルのなかでも商店でも、どこへいっても星条旗を見かけることです。住宅地もそうです。

「9.11」のあとニューヨークへいったとき、郊外住宅地では、一年たっても二軒に一軒ぐらいの割合で星条旗が立ってりました。三年たった去年いってみても、ちっとも変わっていなかった。
それに反して、日本の都市では祝日に国旗を立てている家は非常に稀です。世界でいちばん自国の国旗を立てない国でしょう。古い都の京都でも正月には数年前は国旗を見かけましたが、いまではほとんど皆無です。昨年、わたしがデパートへ国旗を買いにいったら、店員が風呂敷売り場の隅っこの引出しのなかから出してくれました。


感謝:何かを求めてさ迷い歩いていたときに「めぐり合った本」・・・捜し求めていたことに答えてくれた本です。平和60年・・・何かを考えさせてくれます。