世相閑談(平成17年1月15日)
事務局長 立 石 良 文
米国を中心とした多国籍軍によるイラク侵攻は、フセイン政権を倒しはしたが大義名分の大量破壊兵器を見つけていない。個人的にはたとえこれが存在していたとしても少量で有れば、意図的に匿すと発見することは容易でないと考えていた。が過日パウエル国務長官は、今後も見つからないだろうと表明した。それはその根拠とした情報が誤りだったとのことである。
情報については所有面でエキスパートであるべき米国がこうである。如何なる情報をつかみ、そしてそれ等の情報を精査して大量破壊兵器の存在を認めたのだろうか。米国の憶報網は、ハード的にもソフト的にも世界で群を抜いた機能と能力を保持していた。それ故米国は何でも知っていると驕りがあったとしか考えられない。
横の連携、省庁間の障害等反省の弁はあるが、それだけではあるまい。無知な私の推測ではあるが、9・11テロを受けたことにより大量破壊兵器がテロの手に渡り、それを使用されることを虞れる余り、大量破壊兵器がありそうなテロ支援国家を標的にしたのではなかろうか。 情報を収集するのも人、それを採用するのも人である。多くの情報の中から、真の情報を選別し、それを解析してより正確な情報として活用することが重要である。
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さて、イラク復興支援に派遣されている自衛隊員の活動について、新聞、テレビ等による報道がテロによる被害に比し少ないと思う。が外務省報告、また先日来日したイラク高官の話し等から評価すると、イラクに於いて、サマーワという一地方かも知れないが、その活躍が目覚ましく、現地住民達の信頼を得て居り、頼もしい限りである。 然は云え、危険に直面しての任務遂行である。安全には幾重もの施策を講じ、無事任務を遂行し、元気な姿で帰国することを望むところである。また、帰国報告であったようにイラク復興支援も最終的には、現地の人々の仕事をする場所を増加させる方向に持っていくことが、これから重要となり、それが安全確保への近道だと考える。我国としてもその方向へ予算措置等増加させることが必要である。
一方相変わらず、自衛隊員のイラク派遣に反対する人が、我が国の同胞として居り、自衛隊員のイラクへの出発に際し、少数ではあるが、反対のシュプレヒコールをしている。特にテレビは常にこれを報道して居り、本当に悲しいことである。
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このところ韓国の動向について目が離せなくなっている。金大中、慮武絃と続いている北朝鮮との宥和政策大統領は、若い世代の圧倒的な人気で選出された。また、これは一方では北朝鮮の対南工作の成果でもある。金日成が執念を燃やし道半ばにして死去したが、その「南朝鮮革命」が日の目を見るときが近くなったと見るべきであろう。米軍も韓国から戦力撤退を、徐々に実行に移す時が近づいている。我国としては、反共の砦が消えかゝつたと考えるべきである。
一方韓国内ではプロ野球選手の兵役逃れのための、薬物の服用疑惑が発覚した。実に51名もの多くの若者が検察の調査を受けたといつ。 彼の国も自分さえ良ければ、国家が如何になろうとも関係ない輩が増えたということである。我国でも命は地球より重いと言った情熱のない政治家が居たが、時として、命を賭することも忘れてはなるまい。このところ韓国を見て、信号が点滅しだしたと思う此頃である。
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本年五月十一日の読売新聞に「三年で三六〇万ドルをけり、年収一万七千ドルの戦地へ」という記事が載った。米ナショナル・フットボールリーグのパット・ティルマンのことである。 彼は陸軍レンジヤーとして、国際テロ組織アル・カーイダの兵士が潜むアフガニスタンの山奥に行った。ところが米国を離れて僅か三週間で命を落としたのである。がアメリカでの彼のインタビューのなかに「フットボール以外にやるべきことがある」 「社会に貢献し人々を助けたい」テロの飛行機がビルに突っ込むのを見て「この惨事と比較すると、フットボールはどうでもいいことだと感じる。祖父は真珠湾で戦った。多くの親類も戦争に行き、戦った。それなのに僕は何もしていない」と語っている。米国の真の強さを見せつけられた気がする。そしてパットは弟ケビン(兄と同様にレンジヤー部隊へ入隊) に付き添われ無言の帰国をした。これがニュースとなり、全米を駆けめぐり、自分の夢をすべて犠牲にした男として称賛されたという。
また、大学とカージナルスの本拠地だったスタジアムで追悼が行われ、カージナルスは新スタジアム前の広場に彼の名を付けることを決めたという。我国も少し見習ったら良いと思う。
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話題を栃木県小山市の幼児殺害事件について、勿論悪人は殺した当人であり、厳しく罰せられるべきである。が、そうなることを容認した大人の責任についても、責めるべきである。何時も加害者ばかり責められ、被害者の責任を追求しないのは如何だろう。これをしなくてはこの種の事件を防げるものではない。四歳と三歳の自己保身能力のない幼児が虐待される可能性があるのに同居をする親のその監視眼は何処にありや。長崎の事件も然り、あの時は幼児をゲームコーナーに放置し、長時間買いものをする無神経さ、保護放棄と考えるのは私だけだろうか。
事件・事故には全てに、主原因、副原因がある。そしてそれは単純ではない。これ等の要因を排除してこそ、事件、事故を防ぐことが出来るのである。大人も子供も、また社会ももっと強くこのことを知るべきである。特にマスコミは被害者に対する同情が強く、鞭打つことを躊躇している。事件・事故を防ぐため的を射た報道が欲しい。佐世保の事件に関してもそうであるが、事件・事故のあと、何時も対策を立てるのが常である。前例の対策は何であったのか、真剣に反省するときである。
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