無学なる者には、新聞情報は大変意味がある。己の不徳を他人の徳で補う者にとっては最高の情報である。経済的に他紙を購入する余裕はない・・・心打つ記事に接するたびに心が洗われる
。もったいない一日の新聞の命に感動してフルに利用させてもらっている。感謝・感謝・・・!!
オピニオン420 産経新聞の3人のK記者
透明な歳月の光 鮮やかに示された父性と人間性 作家 曽野綾子
産経新聞社の読者に、たまには新聞社の内幕を聞かせたい。記者たちはいつも自分が書くばかりで、書かれる立場にないのはおかしいのだから。今から30年くらい前、私は産経新聞は、3人のKという頭文字のつく記者がいるから保っている、と言っていた。実は私は今にいたるまで、その人たちの社内での評判など知らない。私はその人たちに、仕事を通じて会い、その人柄に打たれていただけである。
彼らはまず第一に知的であった。よく勉強していたが、自分の知性の表現に対して穏やかでユーモラスで謙虚だった。ということは、自分の考えと違う人を高圧的に裁く闘争的な姿勢など、全く示さなかった。自分が人道的であることを売り物にするような幼稚な点も全くなかった。
彼らは、独特の表現と生き方で、私たち書き手を魅了した。連載中に、彼らの一人に担当記者として世話になった作家たちは、皆彼らの性格をとことん好きになった。一人の男性作家などは「オレはお前が産経にいる限りこの連載を止めないからな」と言ったという笑い話が残っている。
しかし彼らは、世間的に常識的な生涯を送るという点では、性格的にも運命的にも失格者であったようだ。新聞社で大変出世したという話は聞かない。しかし産経新聞社が独自の路線を保てたのは、彼らのような強烈な個性を持っている記者がいたからだろう。
美点ばかり書くと嘘くさい。そのうちの2人は私の知るところ、深酒深たばこである。最近そのうちの1人が亡くなって、私はもう中年のご子息からいい手紙をもらった。
それにょると、亡くなった父上は大の読者家であった。新聞社の社宅だったあまり広くもない2DKの家は、図書館のように本であふれていた。私が奥さんなら、文句を言いそうな光景だ。しかし子供から見た父は、いつでも質問に答えてくれる博識な父だった。ただしお酒とたばこについては「こんな大人になってはいけない、と固く心に誓っていました」という、反面教師の役を果たしていた。
この父は社の若い人をよく家に連れてきた。「狭いわが家に呼んで宴会をし」客はざこ寝をして翌朝帰っていった。今は誰も部下を赤提灯にさえ連れて行かない。何気ない光景である。しかしここには、今の父たちに決定的に欠けている父性と人間性が鮮やかに示されている。
私が3人のK記者たちによって産経新聞が成り立っていると感じたのは、決して間違いではなかったのだ。「お父上に似ず」となぜか私はほめ言葉よりわざとワルクチを言いたいのだが、たばこはのまずお酒も少々というご子息は、近々国際機関の一員としてアフリカのブルキナファソに赴任されるという。
「お父上に似ず」どころか、立派に父上の子供として育ったのだ。新聞の強靱さは、社員の人間力にあるのだろう。
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