倫理は人類を救う力 上廣 榮治
先日、古い友人と寿司屋に行ったときのことです。突然、彼が「マグロはいつまで食べられるのだろう」とつぶやいたのです。これまで寿司を食べながら、この寿司ネタはいつまで食べられるのだろうなどと心配したことはありませんでした。
ところが一昨年の暮れ、世界の生物学者などで組織するIUCN(国際自然保護連合)が、公表している「レッドリスト」(絶滅の恐れのある生物のリスト)の中で、太平洋クロマグロを「軽度の懸念」のランクから、さらに上位の「絶滅危惧」に引き上げたことから、マグロ好きの日本人は急に心配しだしたのです。
心配されているのはマグロだけではありません。ニホンウナギもすでに絶滅危惧種に入れられていて、近年では庶民の口に入りにくくなっていることはご承知のとおりです。
太平洋マグロがレッドリストに入れられたのは、1961年に約14万トンあった漁獲高が50年後の2012年には二万トンまで減り、明らかに資源が枯渇しつつあることがわかったからです。「おいしいマグロ食べたい」という国内外の多くのマグロファンの思いに応えるため、一生懸命に漁獲量を増やしてきた結果、いつの間にかマグロを絶滅の危機にまで追いつめていたのです。
マグロが絶滅危惧種になったのと同じ頃、やはり食に関するニュースが話題になりました。日本人の伝統的な食文化としての和食が、ユネスコの「無形文化遺産」に登録されたという、こちらはめでたいニュースでした。
和食は、日本の家庭でごく一般的に食べられている食事です。この和食が人類の文化遺産として認められた理由は、身近な海の幸、山の幸を使って、その持ち味を尊重しながら調理しているからです。家庭の主婦も料理人も、季節ごとの旬の食材を選んで、自然の恵みを生かしながら調理する。もちろん栄養のバランスも考えて。そうした知恵を育んできた結果の登録なのです。
そのことがあってから、テレビに日本の食べ物を紹介するグルメ番組が急に増えたように思います。やつばり日本の寿司はうまい、日本のラーメンは最高だなどと、愛国心をくすぐる番組も増えました。
しかし、無形文化遺産に登録されたのは「和食をめぐる文化」であって、「和食」ではないのです。もちろん、「和食のメニュー」ではありません。寿司でもラーメンでもないのです。
では、ユネスコはなぜいま「和食文化」を無形文化遺産に登録したのでしょうか。ユネスコの無形文化遺産に対する保護活動の目的は、「危機に瀕している文化の保護」だといいます。
放っておくと消えてしまう恐れのあるものを登録することで、文化の継承者に自覚を促そうとするものです。つまり、今回の登録は、日本から伝統的な「和食の食文化」が消えていく恐れがあることへの警鐘なのかもしれないのです。
自然の恵みを大切に生かした食文化を守ってほしいということなのです。実際、いまや生産技術の向上で、たいがいの食材は旬以外の季節でも入手できるようになったため、「季節をいただく」という和食ならではの特色も失われつつあります。
また、流通技術の進歩で、スーパーマーケットに行けば、全国各地の新鮮な食材が安く手に入れられるようになりました。身のまわりの旬の食材を上手に使うという和食の特徴がうすれかけているのです。
世界中で和食ファンが増えているにもかかわらず、本家本元の私たち日本人が和食の素晴らしさを忘れかけている、という皮肉な現象も起きています。
変化の兆しは家庭で調理する場所が「台所」から「キッチン」へと呼び名が変わった頃からだったと思います。日本人の調理スタイルが西洋化し、好んで食べるものもハンバーグや焼き肉など肉類中心の料理に変わってきました。
近年では、忙しい現代人に向けて、できあいの惣菜やチンするだけで作りたての料理が味わえる冷凍加工食品も充実してきています。いずれにしても、かつてのように、身近にある旬のものを使った家庭の味を味わう機会は失われつつあるのです。
食事は単に食べるという行為だけでなく、コミュニケーションの場でもあります。一から作らなくてもおいしいものが、すぐ食べられる便利さは捨てがたいものですが、手間隙(てまひま)かけて家庭で作ることで、おいしさ以外の何かが伝わり、家族の絆が強まったりもいたします。
マグロも、和食文化も、すぐに消滅してしまうことはないでしょう。しかし、大自然の摂理に反して、このまま利便性や効率だけを追い求めていけば、それらもやがては絶滅してしまうことは必定です。
絶滅といえば、もう四十五年も前のことです。毎日新聞に「さようなら、人類。」というタイトルの、ちょっと奇妙な広告が掲載されたことがありました。それは「生活」をテーマにした公共広告でした。
「ゴリラは、やがて地上から消えます」という見出しのあとに始まる以下の文章は、人類の未来を予言するものとして、当時、話題になりました。
ー「森の王者」であった私たちゴリラも、絶滅は恐らく、もう時間の問題でしょう。あなたがた人類がどんなに私たちを保護しようとしても、もう、遅すぎます。(中略)
あなたがた人類の祖先と、私たち類人猿とは、地上で一番近しい間がらにあったのではなかったでしょうか。しかし、いま一方は増えて栄え、一方は減り、滅亡の寸前にあります。(中略)
私たちゴリラの目を見てください。私とは実はあなたです。人類の反映なのです。ついに言葉を持たなかったゴリラの目から、私たちの心を読みとってください。
「文明」を、あなた方も考え直すときがきています。「文明」は必ず、あなたがた自身を追いつめる、容赦のない「敵」となるでしょう。たとえ月を往復する能力があっても、毎日の生活をもっとうるおいのある、心ゆたかなものにできないなら、それは果たして知恵でしょうか。
「文明」は、人類に繁栄をもたらす一方で、人類を絶滅の淵に追いつめてもいるのです。もしも私たちが自然の中で生かされていることを忘れ、「お金」や「便利さ」、「自分の利益」や「効率」だけを求めて、このまま競争場裡(じうり)で生きてゆくなら、いつか人類も、絶滅危惧種として「レッドリスト」に登録されるかもしれません。
最近の霊長類の研究では、人類が今日まで生き延び、繁栄したのは、集団として生きる中で獲得した「倫理の力」によることが明らかになっています。ということは、皆さんのように倫理の大切さを語る実践者がいる限り、人類にはまだ希望があるということです。
「自然に感謝し、人と愛和する。人と自然と共生し、「我も人もの仕合わせ」を追い求める。私たちの進む道に微塵(みじん)も間違いはないのです。そのことを心から信じて、共に倫理の実践に邁進いたしましょう。(倫風宏話5月号&創立70周年記念バッジ)
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