・・・「この混乱期にどう生きたらいいでしょうか」・・・

「まあまあ落ち着いて、お茶でもやれ、慌てるんじゃない」
と言われて、飯田は早速静岡へリュックを背負って茶の葉の買い出しに行き、
それを自転車に乗せて、あちこち売って歩いて、とうとう、

今日本一の茶商といわれるようになった千代田園の会長である。松永にすれば、和敬静寂の茶道の、
お茶でもゆっくり飲んで将来を考えろ、ということだったろう。

電力の鬼


何はともあれ「まあ、お茶でも飲んでいきなされ」という禅の一境地は、仏教哲学渡来とともに日本人の
身に付いた心の生活語であるという。
それは、他人にも自分にも通じる心の言葉で、喜怒哀楽、その都度「まあ、お茶でも・・・・・」
と言えば安心の好都合な生活語なのである。
(
参考:望星2002年3月号、長尾みのるの遠近・複眼)

話しかけたい、悩みを打ち明けたい、相談したい、しかしなかなか言い出せない。
そのとき「まあ、お茶でも・・・」と言われれば以心伝心、阿吽の呼吸で心が開き、信頼感が湧き・・
コミュニケーションのきっかけをかもしだす。大切にしたい言葉です。


みなさーん

????玄関での立ち話ですませていませんか????

ご容赦