「ウヌードウル」(今日)新聞2004年8月30日号 NO2038(2247)月曜日
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     モンゴル・日本の僧侶たち、亡くなった霊を鎮める
                         (B.ヤンジマー)
 政治家たちが平和政策を考えている当節、僧たちも平和について話し始めた。金曜日の10時頃、ガンダンテグチンレン寺院の僧侶たちジャンライスを寺院の前の儀式広場に尊い台を整えてあった。

 係の女性が掃き清め、僧たちは座敷物を敷き小さな机の前で鉦にダマル、太鼓、経典を置いて始めた。30分後、Dチョイジャムツ僧正は台上に立ち、ハルハ河の戦争で亡くなったモンゴル・日本・ロシアの兵士を思い回想し、同時に721年前にフビライハーンの兵士が日本に攻撃した歴史をひもといた。

 このように仏教的なことをするのには理由がある。同時に立っていた日本の僧は「人は殴ったことは忘れ、殴られたことは覚えている」という深い意味のことを話した。Dチイジャムツ僧正は「我々はハルハ河の戦争について、「日本の兵士がモンゴルに大勢入って来たことについてよく知っている。しかしフビライ・ハーンの時代は何千というモンゴルの兵士が日本の大海にて亡くなったことを忘れてしまう」と言った。

 このようにこの日、モンゴル・日本の僧たちが「殴った」「殴られた」ことについて和解し、ハルハ河の戦争で亡くなった兵士たちの、次の世の幸せのために祈った。「二人とも私の息子です」とモンゴルの母が言ったように、あるときは仲良く支えあった、永眠されるモンゴル・日本・ロシアの息子たちの霊を慰め、私の、あなたのというように区別せず共に祀り祈っていた。

 この祈りは最初になるものでも、最後になるものでもない。昨年9月にD,チョイジャムツ僧正と僧侶たちは日本の壱岐島へ行き、700年前の日本で死んだ兵士たち、一般市民の霊を鎮め、平和のために祈りを捧げた。「戦争で亡くなったロシアの兵士たちの来世のために、共に読経することをロシアの僧正が希望した。」先ほど承知しました。

 次回は韓国の人々と一緒に読経します。僧侶たちは「平和のために協力してこの行事を広げ、平和、仲良くするこの大きな世界に広く広げます。」とD,チョイジャムツ僧正は説明した。 どの程度「殴った」のか思い出すとき、モンゴル・日本の関係応援協会の総書記長C,フレレバ−タル氏
(注:前駐日大使)が助けた「フビライ・ハーンは1275年、1286年の二回、日本を攻撃しました。最初の時は日本の島を占領、しかし応援が来なかったため帰ります。次の時は中国・韓国の海のエキスパートの力で再度攻撃しました。

 この戦争で、モンゴル・日本・韓国の140,000近い兵士が参加したと言われています。しかし海風が吹き何千という兵士が海で亡くなりました。日本を助けるために吹いた「神風」だと、名づけられています。「後に日本を救うための果敢な行動を、この風の名で名づけるようになりました」と彼は話した。

 モンゴルテレビの記者SH,ユーロクは、「桜の2枚の葉もしくは鎮魂」というドキュメンタリー映画を作成している。その協力者B,ジャルガルは祈りのときに、映画の最後のシーンを撮影していた。彼らはモンゴルの僧侶たちとともに、先祖が攻撃したという島に行き撮影した「壱岐島は地図上にも記載されないほどの、小さな島です。

 私たちは元朝時代に戦争のおこった地域を、なぞって行きました。海底から、モンゴルの兵士の服や使用物が見つかるらしいです。百騎隊長の『ゾンホプ』と呼ばれる判(印)まで出てきました」と彼は話した。我々が日本に行ったときは秋の涼しさが始まってもういくらか経っていたが、祈り終了後に桜の2枚の葉が風の力で落ちた。ここの大勢の霊が我々を待っていたのかな。来世の幸せのために祈りを捧げた後、よみがえって戻ってくるのだろうとユーロクは言った。

 日本の祈りの連盟の総長、入江孝一郎氏は彼と似た考えを持つ、祈りの最中に雨が降り始め、企画者たちは少なからず心配したが、入江孝一郎氏は「雨は神の遣いです。亡くなられた霊が喜んだことに涙を流している」とした。かなり年配の痩せているこの方は暖かい服や防寒具を着ようとしないおつもりである。「戦争で亡くなられた時は、寒い場所で若しんでいました。つづく