ノモンハン事件65周年、日本・モンゴル友好条約30周年
ノモンハン敵味方鎮魂地球平和祈願(1)
ウランバートル・ガンダン寺に於いて
全国一の宮巡拝会世話人代表
入 江 孝一郎
ノモソハソ事件を知っている人は少ない。昭和14年(1939)5月から9月まで、モソゴルと旧満州(現中国東北部)に於いて、日・ソ両軍の越境の激戦が起きた。これをモソゴル国ではハルハ河戦争と呼んでいる。今年はその65周年、また、モソゴルと日本の友好条約の締結30周年を迎える年である。
昨年秋の平成15年(2003)9月16~18日に、モンゴル国ガソダソ寺・高野山蓮花院・壱岐国一の宮天手長男神社が「元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願を行った。 その準備のために、モソゴル第一の寺院ガソダソ寺のハソプラマ管長に面会をしたときに「モソゴル人は元冠の役は知らないが、ノモソハソ事件は誰もが知っている」と言われた。殴ったことは忘れるが、殴られたことは忘れないという諺がある。ハソプラマ管長猊下が壱岐に来られたとき、モソゴル国営テレビが元寇の役の取材で同行し、管長猊下が元冠の役の戦跡で祈っている姿を取材し、モソゴル国で放映された。
戦場で「いのち」を失った敵味方の戦いは歴史に記録されているが、その死者に対して花の一つも、一本の線香もあげられないまま、辺境の地に置かれたままである。寂しさと悔しさの余り、怨みがつのっているのは、我が身に置き換えて考えてみれば理解できるであろう。
ノモソハソ事件敵味方鎮魂地球平和祈願のことは、壱岐へ来島されたときの行動の中で話題となったが、その翌年65周年に当るとは思いもよらなかった。目に見えない世界の導き、不思議さを感じた。 ノモソハソ事件といっても、具体的に知っている人は少ない。平成10年(1998)発行の半藤一利氏の『ノモソハソの夏』 (文芸春秋) には事件というものでなく戦争であり、戦場で死んだ人々の無念さ、悔しさを痛切に感じた。それは敵味方ともにいえることである。ノモソハソの地名は、チベット仏教の活仏の次ぎに位した僧の役職名であるという。今は集落の名になっているが、九州ぐらいの広さをもっている。
日本が満州国を成立していらいハルハ河が国境線とされ、付近は満州国領内に組入れられていた。そのことを認めない外琴古側は、しばしば家畜を追ってハルハ河を越えていたのを越境として、小さな戦闘から始まったのである。つづく
ノモンハン敵味方鎮魂地球平和祈願(2)・・(壱岐日報H16.7.26から転載)
春から草原に草が覆い茂るようになると、家畜に水と草をもとめた人々に少数の外蒙古軍が護衛についてきた。外蒙古はソ連の保護国で、日本軍の侵攻の防波堤の役割をしていた。小競り合いの戦闘が5月11日前日からつづいて起き、それがエスカレートしたのである。半藤氏の著書の中で「何のために戦ったのかわからないノモソハソ事件は、これら非人間的な悪の巨人たちの政治的な都合によって拡大し敵味方に別れ多くの人々が死に、あっさりと収束した」と、勇戦力闘して死んだ人々の魂が浮かばれないど思えてならたかった、と訴えている。
昭和41年(1966)10月12日、靖国神杜でノモンハソ事件戦没者の慰霊祭が行われたとき、戦没者1万
8000人と報道された.。ソ連軍も外蒙古軍の戦傷死者を加えると、2万4492人という惨たる数字が公開されている。双方で約4万2500人もの人々が一望千里のホロンバイル、無人の広漠とした砂丘と草原の海のようた広がりの中で命を落とし、傷つき、餓え、殺伐たる地獄を見たのであする。敵も味方も、モソゴルの草原に魂は縛られたままにいる。
戦ったソ連軍がモスクワに凱旋したとき、スターリンは日本軍の下士官兵の頑強さと勇気を賞賛している。時が過ぎればそれまでである。砂漠に魂が漂ったまま時が過ぎていった。ウラソバートルの日本大使館で、ノモソハソ事件の慰霊遺骨収集の話を聞いたとき、現地の土を持帰りたくなるのは遺族として当然であるが、検疫などでトラブルがおきるという。何か目に見えない世界、怨霊のはたらきかとフト思った。
省みられることもなく、そのまま捨ておかれていたら、その身で考えたらどうであろうか。早く救ってもらいたいのと恕みが重なり怨霊とたって妨害しているようにも思えた。その時は知らなかったが、平成13年(2001)8月、遺族や元戦友らの民間慰霊団が、旧日本軍の鉄兜のそばに日本兵のものとみられる遺骨五柱を発見したが、大地を掘り返す習慣のないモソゴル側の了解が得られなかった。翌年、厚労省の調査団も近くの場所で二柱の遺骨を発見して、外交ルートで収集許可を要請した。
元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願の行われた平成15年(2003)11月にエンフバヤル首相が来旧した際に許可が得られてその調整を進められてきた。そして今年、7月下旬から約2週間にわたりノモンハンで遺族らの遺骨収集作業が65年ぶりに行われるこ.とにたった。
それは味方ばかりでたく、敵になった魂も救いを求めて見えない世界に右往左往していたのである。残念ながら目に見えない世界からのメッセージは現世にとどかないでいたが、21世紀になって、その空気が変わってきた「気」が感じられる。壱岐国で元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願が、モンゴルのチベット仏教一高野山真言密教・壱岐国一の宮天手長男神杜、さらには諸国一の宮が、壱岐国一の宮にあわせて同時刻に一斉に鎮魂をした。津々浦々の人々の「念い」が実つて実現したのである。
二年目を迎えたニューヨーク世界貿易センター9・11テロ追悼式典にチベット第14世ダライラマ法王・モンゴル国ガソダソ寺ハソプラマ管長も招かれ祈った、一神教国から多神教への誘いは、共生への一つの現れである。ここに奇しぐも、一昨年暮れ、駐日モソゴル大使館の人々と壱岐国で元冠の役敵味方鎮魂地球平和祈願の反省会をしたとき、ノモンハシ事件・ハルハ河戦争65周年になることが話題になった。ハンプラマ管長が来日のとぎに約束した「ノモンハソ事件敵味方鎮魂地球平和祈願」がモンゴル第一の寺院ガンダソ寺で実現される運びとなつたのである。
ゴビ砂漠にとどまるすべての霊魂に、チベット仏教、高野山真言密教の修法をもっての敵味方鎮魂地球平和祈願、広く多<の人々で一本の花、一本の香を捧げて御魂を鎮める道が開かれてきたのである。
この趣旨に賛成の方はぜひ参加、もしくは浄財を一連の敵味方鎮魂地球平和祈願の行動にお願いする。(おわり)
|