1面から続く  日本よ
私が死ぬ時、頭だけはぽけてはおらず、この国が今のままの衰運をたどっていきはて、かつては敬意を抱き憧れもしていた外国からも哀れとされ軽蔑さえされているありさまを見届けながら、胸に去来する思いとはまさにあの歌の文旬の通りに違いない。しかし一局の碁としてはとてもすまされぬ、まさに死んでも死にきれぬ心境に違いない。

ナチス・ドイツが台頭しヨーロッパを非人間的な全体主義で隷従させようとしやがては崩壊した頃のヨーロッパに生きたハイエクは、『人間は予期しなかった害悪の事態が目の前に生じた時、それに疎かった自己を非難せずに他を非難する』と記しているが、それは歴史の変化に対する人間心理の公理には違いない。しかしそれで何がどう良く解決されるものでは決してない。

ヨーロッパのように平たい地つづきの国々の間で、前の世界大戦でどの国も疲弊しもう戦はこりごりという心象の中でヒトラーだけが国民の屈辱に火をつけ、陸軍の再整備を強引に進めそれをかざし相手国の厭戦気分につけこんで武力の行使なしにたちまち幾つかの領土を併合し、揚げ旬は第二次大戦とあいなった。日本という国がこれからたどるに違いない衰亡への道のりは、当時のドイツの周辺国家の心象に、ネガとポジとの違いはあるが実は酷似している。

戦後アメリカの保護の元にあてがわれた憲法によって培われた厭戦気分に通じる脳天気な危機意識の喪失、起伏もありはしたがなんとか確かな成長の波に乗ってのし上がった経済への盲信、そしてそれが育んだ物欲優先の生活感覚、欲望追求が至上の価値体系。政はそれをかなえ保証することでのみ国民から評価されてきた。

その揚げ句、至上理念の象徴でてある福祉は高度に実施されはしてもそれを支える財政は無視され、『高福祉低負担』なる、中学生にもわかる不可能な財政運営が道理として強制されつづけてきた。その一方文明の進展に沿って世界は時間的空間的に狭小になり、経済という人間の根源的な欲望を満たすための方法は国境や民族といった較差を超えてその規模も作用も変質してしまった。そしてこの日本はそうした経済の本質的な変化に鈍感なままにきてその地位からすべり落ちつつある。

経済に関する時間空間の狭小化を体得出来ぬ官僚が支配しつづけてきたこの国では、経済の国際交流の最大の障害である企業への税金が世界一高いまま世界中からそっぽを向かれているのに未だに改修の兆しもない。そして物欲至上の生活感は世代を超えた連帯を疎外してしまい、親子三代で暮らす家庭は激減し、祖先や子孫に対する意識は希薄となって、人間の存在を背景にした精神の高揚は衰微し人間連帯の感情はせいぜいが親子二代という侘びしいものにしかなりえなくなってしまった。

かくして、私たち年代の者たちにとっての日本という憧れは、その人生の終焉と平行して、懐かしい共同幻想として消滅しつつあるのだろうか。それを食い止める唯一の術はこれからやってくる夏の国政選挙で、転落していく石を止めるための確固たる第三極を、転落の歴史への拒否として造りだして置くことしかあるまい。