強制で構わない。現実に幼児が、言語にせよしつけにせよ、強制以外、自発的に学ぶということはないのだから。親が言ったことに、反感を持たない子供は少ない。そして日本の社会はその造反を、時が来れば許す社会的寛容さをも充分に持ち合わせている。反抗したからと言って、罰せられることはないのだ。

強制はいけない、と言うから、人間の基本を教えないまま平気で子供を大きくして来た。それが戦後の混乱の大きな原因である。

ネット依存の知識では…


殺人と自殺は、共に命を不自然に奪うことなのだから、最大の人生の失敗だ、と教えるべきだろう。もちろん病気の結果は別だ。最近は親を憎んで殺す子供が多いが、それほど嫌いな親なら捨てて姿をくらませばいいのに、といつも私は思う。十代の後半になっても、まだ自立ができないから親を殺すところまで追い詰められる。

たとえ些細(ささい)なものでも万引したら、それは盗みを働いたことなのだから、それも人間失格だ。高校や大学へ行く資格などない。勉強などするより、人間としての行動の基本を学べ、と私は言うのではないか、と思う。

教育勅語はよくまとめられた道徳だが、あれがいけないというなら、別の形で徳というものを教えるべきだろう。徳は人間と動物を区別する大きな要素だから、それなしに人間は創りえない。基本的道徳は幼いうちから強制的に教え、成人後はめいめいが、自然にいささかの反発を加味しながら、個人的に創っていくものなのだ。

戦争というものは、次第に、政治的に社会的に経済的に「合わない」行為になりつつある。昔戦争は負けた側が泣き寝入りした。しかし今後は、負けた側がいつまでも脅迫的に請求書をつきつけることになるだろう。とうてい間尺に合わない行為になったのだ。

私たちの若い頃、人はもっと時間を惜しんで暮らした。
人生は決して長くない。本も読まず、さして必要もない知識までネットで知っていい気分になる余裕など、ほんとうはないと覚悟すべきなのである。(そのあやこ)