産経新聞平成19年(2007年)12月31日 月曜日
ニヒリズムへ突き進む日本    正論京都大学教授 佐伯 啓思
「善き社会」へのイメージが描げず
 
行為の意味に確信がない
 いささか乱暴ではあるが、もし仮に現代文明の本質を一言で述べよといわれれば、私は「ニヒリズム」という言葉を使いたい。ニヒリズムとは、ニーチェによると、これまで自明なものとして信じられてきた諸価値の崩壊である。価値の崩壊とは、人々が、物事の軽重やその意味や本質を判断する基準が失われてしまうということである。

 その結果どうなるか。われわれは世界を統一したものとして見ることができなくなり、われわれの行為は、社会や歴史とのつながりを持てず、行為に確かな社会的、あるいは歴史的意味を与えられなくなってしまう。行動の確かな目的もわからなくなってしまう。

 そうなるとどうなるか。人々は、自己の行為の確かな意味や目的を確信できなくなるために、ある者は瞬時の刺激や快楽を求める
刹那的快楽主義に走り、ある者は、所詮何をしても無意味だとしてこの世界をシニカルに見る冷笑主義へと走るであろう。私には、今日の日本も世界も、その意味で急速にニヒリズムの坂を転げ落ちているように見える。

 戦後日本は、経済的豊かさの追求、
自由や平等の実現を目指してきた。これは、貧困からの解放、戦中の不自由や抑圧からの解放、極端な社会的格差や差別からの解放という意味では、確かにわれわれの心理を捉えた、といってよかろう。

 それらから解放されることで、われわれは何か
「善き生活」が手に入るという期待をもてたわけである。「善き生活」や「善き社会」という期待やイメージがかろうじてあれば、それを実現する手段としての経済成長や自由・平等にも大きな価値が与えられたのであった。

 
目的そのものが内容空疎

 しかし、それらがある程度、実現したとき、どうなるか。もはやわれわれは、この先に来る「善き社会」のイメージを描き出すことは出来なくなっている。これ以上、経済成長を続け、自由・平等の実現をはかったとしても、それがもはや「善き社会」をもたらすとは思われないのである。 にもかかわらず、われわれは、経済的豊かさ、自由・平等の実現という価値を相変わらず高く掲げている。一体、何のために経済的豊かさを求め、自由の拡大によって何をするのか、という問いに対する答えは空しく宙をまう。

 こうして、経済成長、自由・平等の拡大という
本質的に「手段」であるものが「自己目的」となってしまい、しかもその「目的」は具体的イメージを伴わないために内容空疎な名目となってしまった。かくて、われわれは何のために働き、何のために勉強をし、何のために自由を求めるのか、その素朴な問いの前に茫然と自失しているように見える。

 行動には確かな意味を付与できず、不安と苛立ちだけが募ってくるように見える。ニヒリズムというほかなかろう。

 行動に確かな意味を見失ってしまった結果が、瞬間的快楽ゲームの様相を呈する
過度なマネーゲームとマモニズム(金銭主義)であり、これも、瞬間的憎悪の発露としてのあまりに安易な衝動殺人であり、また、あまりに瞬間的な情緒やイメージによって浮動する世論の政治である。

 
殺伐なこの1年の底流に

 ニヒリズムの中では、人々は、自己の行動の与える社会的な意味や連関を十分に想像することができなくなってしまう。そのために、
もはや他人のことや、社会のことを考慮に入れているだけの余裕もなくなる。今ここでの自己の情念や欲望だけがすべてになってしまうのである。この−年を振り返れば、あまりに殺伐とした社会であったといわざるをえないが、その基底にあるものは、現在文明を深く覆っているニヒリズムにほかならないのではないだろうか。

 ほとんど「目的」なき経済競争の中で、いかにニートやワーキングプアが出ようが、
人々はもはや「私」の生活と利害にしか関心をもてなくなっている。 他人や社会に対する余格のなさは、ともかくも非がある者を見つけ出しては声高に責任を追及するという相互不信を生み出している。ニヒリズムの中では、人は、自己保身のたぬに、むきだしの「力」を求めようとする。ニーチュのいう「カヘの意思」である。

 
このニヒリズムに抗することは難しい。しかしもし方策があるとすれば、第−に、現代文明のニヒリズム的性格を理解することであり、第2に、われゎれが共通に持てる「善き社会」のイメージを描き出すことでしかあるまい。(さえき けいし)

2007.12.31


参考:
年頭に(産経新聞の一部拝借掲載)

危機の20年へ備えと覚悟              論説倭員長千野墳子

GNPよリGNHの哲学
                 
 ヒマラヤの麓にブータン王国という小国がある。昭和天皇の大喪の礼で喪に服してくれた親日国だ。いま、この国は国民総幸福量(GNH)という独自の国家戦略で国際社会の熱い関心を集めている。

 国家戦略には
@道路と電力の開発
A教育・医療の無料化
B功利主義経済学批判
Cグローバリズムへの警戒
D自己啓発と伝統文化の維持
E自然環境の保全
F足るを知る仏教経済学の尊重−などの具体的な政策目標を伴う。

 人口も資源も限られた小国が物質的指標にのみ依拠していれば、容易に負け組に転落する。ヒマラヤという最高の自然遺産もグローバル化で観光の大波が押し寄せれば、たちまち荒廃してしまう。′
 国民総生産(GNP)よりGNH。小国は小国らしく。それは、やむにやまれぬブータン流「覚悟の国家戦略」とも言えるのだが、
経済的に豊かでも幸せを実感できない勝ち組先進国から、ブータンの政策立案者に講演依頼などが相次ぐ状況は、極めて示唆的である。

 日本もいまこそ「覚悟の国家戦略」が必要だ。政治に経済に社会に課題は多いが、急ぐべき最優先のそれはブッシュ後に備えた対米関係の構築であろう。

 渡辺靖慶応大学教授はアメリカ社会を考察した『アフター・アメリカ』で、民主主義の乱用や己の力への思い入れと過剰な誇り、若さゆえの性急さなど米社会の特質が、自らにも困難をもたらすだろうとの懸念を記した仏人アレクシス・ド・トクヴィルの手紙を紹介している。

 『アメリカの民主主義』で日本でもよく知られるトクヴィルの約160年も前の考察の今日性に驚かされる。次期大統.領がどの党で、誰になるかを問わず、日本はこのようなアメリカと予見し得る将来も同盟の相手であり続ける。

 日米同盟は2国間を超え、アジア太平洋に真に必要な国際公共財として深化させるべきだ。そしてこの20年が文字通り”危機の20年”とならないよう、細心の準備を始めたいものである。<2008.1.1>

情報源:産経新聞H19.12,2読書欄
コメント:世界はイスラム圏と西洋文明圏(キリスト教)の争いの様を呈していることは事実であろう。かかるとき西洋文明の盟主たるアメリカのアメリカ化の押し付けに反発していることは少なからずあると思われる。お互いがそれぞれの文明を尊重し合い真の世界の人々の願いは何かを示唆してくれる参考書と思う。目下勉強中!