東郷元帥の子孫がロシア初訪問
                      「日露友好と平和のために」
                       開戦から100年


【モスクワ=内藤泰朗】日露戦争(1904−05年)の日本海海戦で連合艦隊を指揮して勝利に導いた東郷平八郎司令長官(元帥)の子孫が初めてロシアを訪問、十九日に旧都サンクトペテルブルクで、かつての敵であるロシア・バルチック艦隊の遺族と交流する。双方の子孫たちは日露開戦から百年にあたり、両国の今後の平和と友好を誓い、和解へ一歩としたい考えだ。初の訪露を決意したのは、東郷元帥のひ孫にあたる、東京都文京区在住の保坂宗子さん(47)。

連合艦隊「三笠」保存会副会長の沖為雄さん(73)が、開戦から百年という区切りの年にぜひ「日露の友好と平和のために」とロシア訪問を働きかけた。沖さんのほか、夫の義雄さんも同行する。サンクトペテルブルクでは日露戦争に関する国際会議で曾祖父にあたる東郷元帥の人物像について講演するはか、日本海海戦に参戦したロシア側のバルチック艦隊遺族会のメンバーたちとも面会、海戦で沈没した同艦隊の戦艦「アレクサンドル三世」の記念碑を訪れ献花する予定だ。

さらに、日本海海戦に参戦したバルチック艦隊の巡洋艦「オーロラ」と、「三笠」の関係者同士も初めて顔を合わせる。オーロラはフィリピンのマニラに逃げ延びた後、ロシア革命の合図となる号砲を撃ち、今は博物館となりネバ川のほとりにもやわれている。

 「曾祖父は、国を守るためにロシアとは戦いましたが、ロシアの人々を憎んでいたのではありません。心と人を大切にしていた人です。一世紀という歳月が人々の心の傷を癒やし、ロシア側の子孫の方々と心を開いて交流ができたらすばらしいと思います」

 「油断大敵」という曾祖父直筆の書を見て育ち、「心技体の一致」を目標に息子二人と剣道の稽古にはげむ宗子さんは、こう語った。ロシア側ではこれまで日露戦争を「不名誉な戦争」と位置づけてきたがが、百年を契機に日本側と交流し、
両者の間に依然横たわるわだかまりを乗り越えることを望んでいる。
(情報源産経新聞H16.3.17)
東郷元帥・バルチック艦隊司令長官
日露開戦100年 ひ孫同士が”和解”の対面
 
 【サンクトペテルブルク‖内藤泰朗】日露戦争(一九〇四−〇五年)の日本海海戦を勝利に嘗いた東郷平八郎・連合艦隊司令長官(元帥)の子孫が十八日、訪問中のロシアの旧都、サンクトペテルブルクで、かつて敵として戦ったロシア・バルチック艦隊司令長官の子孫と初対面した。十九日には、海戦に参加したロシア側遺族会会員との交流も行われた。双方の遺族たちは、開戦から百年の時を経て和解への第一歩を踏み出した。

パルチック艦隊のロジエストペンスキー司令長官(中将)のひ孫にあたるジノビ・スペチンスキー氏(六五)は、日露戦争をテーマに十八日に開幕した国際会議(山梨学院大主催)会場のネバ川沿いのロシア海軍中央博物館で会議に出席していた東郷元帥のひ孫、保坂宗子さん(47)(東京都文京区)と初めて会った。

 二人は、お互いの曾祖父の話のはか、日露戦争後、大激動した両国の歴史の中でそれぞれの家族に何が起きたのか、戦争に対するお互いの思いなどについて、二時間近くにわたり語りあった。 スペチンスキー氏は、ロジエストベンスキー司令長官の娘と結婚した祖父たちが1917年のロシア革命で逃げ延びたフランスで生まれ、その二十年後にロシア(ソ連)に戻ってから現在に至るまでの自らの数奇な運命を明らかにした。同氏の息子は仕事でつい最近まで日本にいたという。

「戦争は悲劇をもたらしたが、もはや歴史の話。自分が生きている間にまさかこんな出会いがあるとは思ってもみなかった。日本は私の意識の奥底にありながら遠い存在だった。まるで夢のようだ」。笑顔のスペチンスキー氏はそう言って、保坂さんの手を握った。

 保坂さんは「まさか、曾祖父が戦った相手の司令官の子孫の方とお会いできるとは思ってもみませんでした。人と人の心を大切にした曾祖父の至誠の生き方を分かってもらい、感無量です」と話していた。、十九日には、日本海海戦に参戦し、博物館として現在もサンクトペテルブルクに残るバルチック艦隊巡洋艦「オーロラ」で、保坂さんのはか、連合艦隊旗艦「三笠」保存会副会長の沖為雄さん(73)も加わって、日本海海戦を戦った両艦の関係者同士も初めて交流。両国の将来の平和と友好を誓って、今後も交流を続けていくことを約束した。

19日、サンクトペテルブルク市内で対面したジノビー・スペチンスキー氏(右)と保坂宗子さん(内藤奉朗撮影)(産経新聞平成16年3月20日(土)

              「日露関係前進しない」
                    パノフ前大使 日本側の姿勢を批判

 
【サンクトベテルブルク=内藤泰朗】ロシアのパノフ前駐日大使は二十日、同国の旧都、サンクペテルブルクで行われた日露戦争百周年に関する国際会議で講演し、「日露関係はこのままでは前進できない」.との厳しい見方を示した。前大使は「日露関係が進展しない最大の原因は日本側のロシアヘの不信感にある」とした上で、「経済的に相互に頼り頼られる関係にならない限り、平和条約は締結できないだろう」と述べた。さらに、北方領土返還交渉についても、「妥協を許さない日本の姿勢では交渉にならない」、と、日本側の姿勢を批判。「日本には領土問題の解決を望まない勢力がいる」と語り、平和条約の締結には時間がかかるという見通しを示した。

 また、日露関係が次の段階に進むためには両国経済界が政治に圧力をかけて問題を解決していくことが不可欠だと述べた。前大使は現在、七年間の駐日大使時代の経験を執筆中で、夏には本として出版される見通しだ。四月下旬にノルウェ−大使に転出するという。
(情報源:産経新聞 2004.3.21)



サンクトペテルブルグ港にロシア海軍の記念館?となっている。巡洋艦オーロラ号





横須賀 三笠公園