◆日本人と独創性(上) 情報源;倫風7 日本人よ、独創性を取り戻せ わずか二十年ほど前まで世界を席巻していた日本の電機メーカーに、かつての勢いはありません。テレビも生活家電も韓国や中国メーカーに押され、世界市場における競争力は落ちるばかり。なぜ、このような状態になってしまったのでしょうか。 世界の半導体研究をリードし、光通信の発明で知られる東北大学名誉教授の西澤潤一さんは「独創的な研究をないがしろにしてきた日本が衰退するのは当たり前である」と語ります。 日本人は独創性がない民族なのか? 日本人はモノ真似は上手いが、独創性のない国民だといわれる。これは特に工業製品についての批判なのだが、イギリスのサッチャー元首相は、来日した時、こう言ったものだ。「日本人は我々が完成させた仕事を失敬して、工業の製品化で金儲けをしている」。この言葉を聞いた日本の経済界や政界の人々は一様にショックを受けたが、事実その通りなのである。 カラーフィルムを例に取ると、最初はイギリスの技術が世界一だったが、日本の会社が類似技術を開発して製品化し世界中で売ったという経緯がある。日本が高品質を誇る液晶ディスプレイも、もとはフランスの研究をもとにアメリカの会社が開発したものである。 このように日本の電気製品のほとんどは、欧米の研究から実用化できそうな技術を目敏く見つけ、それに独自の改良を加えたものなのである。科学者の研究した技術がどのくらい実用化できたか、その成功率を見ると、欧米がわずかO・六パーセントなのに対し、日本はなんと七〇パーセントにも上る。日本の研究者が際立って優秀なのではない。 欧米では、ものになるかならないかわからない段階の研究に対しても多額の資金が投入され、科学者や技術者が日夜、基礎研究に励んでいるからである。独創とは失敗の連続の中から生まれることを物語る数字だが、日本は彼らが苦労する姿を横目で見ながら、うまい汁だけ吸ってきたのだ。 では日本人は本当に独創性のない民族なのだろうか。そんなことはない。明治維新以降、世界的な研究や発見をした科学者が多くいた。自然科学の分野を例に取ると、まず医学では、破傷風の血清療法の発見者である北里柴三郎や、赤痢菌を発見した志賀潔。物理学では、世界に先駆けて土星型原子模型を発表し、日本の物理学を世界に知らしめた長岡半太郎や、地磁気や地震の研究を行ない緯度変化の観測を進めた田中舘愛橘(たなかだてあいきつ)。大正期にはKS鋼を発明した本多光太郎、八木アンテナを発明した八木秀次……。彼らは、いずれも独創的な研究によって世界的な評価を受けている。 日本復興はアメリカのコピーから 維新以来、日本は国を挙げて欧米列強に追いつき追い越せと科学技術と産業振興に血道を上げてきたが、昭和二十年、第二次世界大戦の敗北によって国土は焦土と化した。その復興に手を差し延べたのは、かつての敵国アメリカである。日本はそれまでの価値観を捨て、アメリカ指導でつくった憲法やアメリカの真似をした教育制度のもとで復興を目指すことになる。 アジアに同盟国をつくり、軍事的中継基地を設けたかったアメリカは、日本をいち早く復興させる必要に迫られていた。そのため新しく開発した技術であっても簡単に日本に売ってくれ、日本もそれに飛びついた。いわば戦後日本の復興は、アメリカ製品のコピーから始まったのだ。技術を真似るだけなら自前で研究・開発する必要がないので安く製品化できる。一刻も早くアメリカに追いつきたい日本にとっても、これほどありがたいことはなかったろう。 アメリカは日本に最新の技術だけでなく、大量生産による工業製品の作り方も教えてくれた。このアメリカの技術と生産方法が合わさったことにより、日本の工業レベルは目覚ましく向上し、やがて日本は世界第二位の経済大国へと上り詰めていったのだ。 しかし、新しい日本を構築していく戦後の混乱期だからこそ、オリジナルなもの、日本独自のものを作り出す気概を持つべきだったのだ。当時の状況を考えると難しいことではあったかもしれないし、最初はモノ真似に甘んじることもやむをえなかったかもしれない。だが、心の中には「やがて日本独自のもので世界をアッと言わせてやる」という志だけは持つべきだった。もちろん持っていた人もいたろうが、いつしか時代の波に呑み込まれていったのではないだろうか。 目先の利益を追い未来を逃す 日本は戦前とは比べものにならないくらい豊かになったのだから、経済成長自体を否定するつもりはない。しかし、資本主義の伸張にともなって研究・開発までが利益中心となってしまった。つまりモノ真似やすぐに実用化できる研究ばかりが重視されるようになり、それは現在も続いている。 日本の産業界は自分たちの努力こそが日本の繁栄につながったのだと騎り、製品化に直接結びつく研究ばかりを重んじてきたから、たとえ科学界にとって有益でも、すぐに利益をもたらさない大学や学者には目もくれない。 ある大手電気メーカーの会長は、大学の研究など当てにしていないと公言した。研究は企業でやるから大学は教育だけやっていればいいというのである。 モノ真似の責任は企業にだけあるのではない。学者もまた自分の利益のために、安易に産業界と手を結んだ。だからメーカーが喜ぶような仕事や、ノーベル賞が取れる可能性のある研究にばかり目がいって、地味でも将来、必ず役に立つ基礎研究は敬遠される。 もちろん国民にも責任はある。日本人は互いに真似し合って、ヒット商品を作り出すという一風変わった気質を持っている。例えば、A社が開発した商品を、ライバルのB社もC社も真似て同じようなものを出す。A社が文句を言わないのは、同じような商品が売り出されれば、それだけ消費者の目が向き、売り上げにつながるからだ。これが欧米だとオリジナルを尊重する気質が強いので、モノ真似ばかりする会社は社会から軽蔑される。 欧米の技術を真似たものを商品化して欧米に輸出して一向に恥じ入らない。産業界のみならず、日本全体が欧米から避難の目が向けられていることに、私たちはそろそろ気づかなければならない。 モノ真似が簡単だということはライバルも多いということだ。現に日本より労働賃金が安い国々、国や韓国が作る高品質・低価格の家電製品によって、日本製品が世界市場から駆逐されているではないか。もうモノ真似は限界にきているのだ。 日本にしかできない研究・開発を 日本で四十年も前から言われている笑い話に、「研究費の申請をする際、人がやっていない研究テーマを書くと通りにくいが、一筆『アメリカでもやっている』と入れると通りやすい」というのがある。 私にもこんな経験がある。二十代の頃、当時世界的権威とされたイギリスとドイツの学者の間違いを発見し、それを日本の学会で発表したところ、快挙だと褒められるどころか「欧米の大学者様に楯突く不遜なヤツ」と叩かれた。私の研究成果であるPinダイオードも光通信も、日本ではほとんど相手にされず、最初に評価したのは海外である。 欧米のモノ真似ばかりしているうちに、日本人はいつの間にか精神までアメリカ崇拝、ヨーロッパ崇拝になってしまったのだ。だからアメリカンスタンダードをグローバルスタンダードだと思い込んで、それに必死に合わせようとしている。 このような自国への誇りを持たない民族は、欧米人どころか世界中から相手にされない。それでも経済的繁栄が続けばいいのかもしれない。しかし、世界における日本製品のシェアがどんどん奪われている今、このままでは未来がないことぐらい皆わかっている。アメリカと同じような技術を開発しても資源量で敵わないし、中国と同じような製品を作っていても労働力の安さと市場規模で太刀打ちできない。 だとしたら、今後、日本はこれらの国々と棲み分けをしなくてはならないのだ。日本にとって一番効率的なのは「先物買い」、つまり、ほかの国がやらないような科学技術をもつことである。それができれば、どの国からも尊敬され、生産に必要な資源も譲ってもらえるようになるだろう。 こう考えると、二十一世紀に、われわれが目指すのは独自技術の開発以外にないのである。注力すべき研究分野としては、世界の最大関心事である環境保護やエネルギー再生技術などであろう。 そのためにしなければならないことはたくさんある。まずはモノ真似と欧米崇拝をやめ、次に基礎研究や独創技術開発の重要性を認識し、国を挙げて科学振興をすること。具体的には、社会的に認知されていなくとも、独創的な研究をこつこつと進めている研究者を探して研究費を援助したり、文部科学省の倉庫に眠っている、大学などが申請して予算のつかなかった膨大な研究テーマの中から目ぼしいものを発掘する。 もちろん若い研究者の育成や大学の研究環境の改善、さらに科学教育の振興、教育改革なども必要だろう。研究とは地道な作業である。結果が出るまで時間がかかり困難も伴う。しかし、明治維新からわずか三十年で世界的な学者を多数輩出した日本である。信念を持ち努力を続けていけば、必ずや復活できると信じている。 |